As Usual
当Blog内の記事、写真、その他コンテンツ(第三者のコメント・写真・引用文・図表を除く)についての著作権は大沢知之に帰属します。著作及び著作の一部などご利用になりたい方はメールにてtop@spn1.speednet.ne.jp までご連絡ください。各種お問い合わせも同様にお願いいたします。
Blog掲載記事及び著作者本人のコメントはすべて個人としての考え、意見などに基づいて書かれており、いかなる組織、団体、会社をも代表して述べられたものではありません。 以前の記事
2015年 12月 2015年 01月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 04月 2014年 03月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 04月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 検索
その他のジャンル
ファン
画像一覧
|
カフェで占いをやっている女性二人組を見かけた。一人がプロと思しき占い師、もう一人が依頼人だ。二人向き合って座り、対話形式で占っている。占い師の手元には手帳のようなものがある。
こういう光景を何回か見た。ここ7-8 年ぐらいの間に四、五回だろうか。これで「多い」とは言えないかもしれないが、目につく。占ってもらっている人は身なりもよく、それなりに安定した暮らしをしているように見受けられる。占い師を雇ってまで占うからには金銭的に余裕があるのだろう。占い師はいずれも話し上手で、相手が聞いて喜びそうなことや、心配のネタを想像しながら巧みに言葉を操っている。二人の関係はちょっと見ると友人同士のようだ。唯一、手帳が普通の友人でないことを物語る。 ハリウッドでは占いが映画関係のセレブの間で盛んらしい。日本でもお金持ちの奥様方がプロの占師を雇っていたりする。占いはどこでも支配層や富裕層にとって古くから重要だった。漢字の起源が中国で卜に使った甲骨文字だというのは学校で習う。古代日本では、現在の中央政府の一機関にあたる中務省(「天皇の補佐や、詔勅の宣下や叙位など、朝廷に関する職務の全般を担っていた為に、八省の中でも最も重要な省」-Wikipedia)の陰陽寮に陰陽師という占筮を専門とする官職があった。古代から中世にかけて中近東・ヨーロッパ世界でも国家や王家は占星術で未来を占った。 人間に心配はつきものだ。心配を減じるために将来を見通したい。占いはそこを衝く。占い師は己の「能力」を報酬と引き換えに提供する。そして、報酬はしばしば占いを依頼する側の地位と連動する。 こうして、地位・報酬・心配/将来・占いの連鎖が完成する。古今東西、普及深度や利用者の多寡はあるものの、この枠組みに変わりはない。現代では一見、一般人を対象とした無料の占いが被占者の地位に関係なく提供されているように見えるが、これも占いを提供する媒体の販売収入や広告収入が原資になっていることからして、貧困ではない一般人の総数が多いという「一般人の地位の高さ」が関係していることがわかる。大量消費社会では「お客様が神様」なのだ。 「神様」が占いを欲するとは、これいかに。 #
by bgst
| 2014-06-10 13:54
長いこと続いた雨がやみ
静かな夜に想う ひそかな調べと高鳴る響き 久しく忘れ得ぬその営み #
by bgst
| 2014-06-08 21:25
現在、普通に常識と思われていることが以前も常識だったとは限らない。むしろ、かつての非常識が現在の常識になり、現在の非常識が昔の常識だったことが多い。更に言えば、今の常識が今後も常識であり続ける確率は高くない。端的に言って常識は「常に変わる」。矛盾したような言いまわしが妥当となる。
現在、普通の国家が民主主義を前提に存立し、一党独裁国家を異質なものと見ていても、200年前、多くの国では王権を最高権力とする制度を基礎としていた。日本で花といえば桜だが、万葉集の頃は、王侯貴族にとって、中国由来の梅が和歌の対象だった。マクドナルドの一号店が銀座三越の正面口すぐ横に開店したのは1971 年、コンビニの24 時間営業が始まったのが1975 年、それからまだ 50年経っていない。100 年後にマクドナルドが消滅し、24 時間営業がなくなっていたとしても驚くにはあたらない。 常に、とは「いつからいつまで」という条件付きでしか機能しない。「永遠」という言葉は幻想になる。これでは詩的な想像力や未来に対する積極的な意欲が削がれてしまう。そう思う向きもあるだろう。あり得ない想定下でしか使えない言葉を使って説得力を持たせるのは、幻想の虜になった人を除いては難しい。もっとも、自分が生きている間だけ通用する概念でいいと開き直ってしまえば別の話だ。 ただ、地球が太陽の膨張により超高温状態に陥り、全ての生物が死滅するのが約 28 億年後というから、人類が28 億年安泰であれば、それは「永遠」に等しいといってしまえば、ことは済む。但し、それまで地球外に移住することも含めて「人類」が存続していて、今のような、「永遠」を含む多様な表現が可能な言語を使用した生活をしていると仮定すればのことだが。ホモ・サピエンスが登場したのが30万- 20万年前ということだから、数十億年単位の推移が「人類」へどういう影響を及ぼすかはまったくわかならい。「人類」が生き延びたとしても、その間に「永遠」という言葉自体、或いは言語そのものが淘汰されるかも知れない。 28 億年を「永遠」とするか。それともやはり「永遠」は幻想か。 #
by bgst
| 2014-06-08 19:10
再度の登場だ。16世紀にイエズス会宣教師のルイス・フロイスが書いた「日本史」は面白い。今度は秀吉関連について書かれたものだ(完訳フロイス「日本史」4、豊臣秀吉編 I、松田毅一、川崎桃太訳、中公文庫 2012年第三刷)。
「羽柴(秀吉)は大坂城に夥しい数の婦女子をかかえていた。彼女たちのうち約五十名は(織田)信長とその息子なる貴公子たちがかつて有していた人たちで、いずれも武将や貴人たちの娘であり、大いに寵愛され尊敬されてもいたが、---」 「宮殿にいるそれら貴婦人や女官の中には、五、六名のキリシタンが混じっており、そうした既婚婦人の一人にマグダレナと称するかなり年配の人がいた。彼女は羽柴夫人の侍女を務め、彼女(北政所)とはきわめて親密な間柄にあった。」 「(織田)信長は彼女らに男の名を付けていたのだが、羽柴(秀吉)はマグダレナの勧告により、三河の戦いに出陣するに先立って、マグダレナが教えたキリシタンの聖女の名をとって彼女たちにキリシタンの名前を付けることにした。そのために彼女らは異教徒でありながら、宮殿においてはこうした名で通用していたのである。」 *注にキリシタンの名前とは「からら(Clara)、るしや(Lusia)、もにか(Monica)、じゅりや(Julia)、まりや(Maria)、かてれいな(Catarina)、うるすら(Vrsula)、まるた(Martha)、はうら(Paula)、るいざ(Luisa)、あんな(Ana)等」であったと書かれている。 洗礼を受けていないのに、キリシタンの聖女名で大坂城内でお互い呼び合っていたということだ。戦国時代、キリスト教は秀吉によって禁教にされるまでの間、武士を中心に早いスピードで信者を増やした時期があったというが、ここまで文化的に浸透していたとは思わなかった。合戦を目前として、婦女子の名前が外部に漏れるのを防ぎ、敵方から隠すという意図もあるのかも知れないが、ここにも日本特有の「はやりのものにあやかる」心情の表われが出ているともいえる。 日本では reality over principle = 現実の方が原則よりも優先するのはよく見られることだ。特に「ブーム」になると原則が引っ込む。 ここで日本の憲法のことを思い出した。 #
by bgst
| 2014-06-05 11:21
顔はものを言う。「顔が」ではなく、「顔は」だ。
腕のいいシェフはほとんど例外なくいい顔をしている。整っているとか、ハンサム・美人という言い方はなじまない。「顔ができている」とか、「顔が物語っている」というのに近い。 他の職業でも同様だ。何事かを成した人に共通する顔のクオリティーというものがある。俗にオーラと形容されるものの一部かも知れない。普通そこには顔だけでなく、声、身振り、態度によるその人なりの説得力というものが含まれる。でも、顔にのみ注目したい。声、身振り、態度はかなりの程度意識的にコントロールできる。顔と違い、微細な表現まで読めないこともあって他人を欺くことができる。顔も「作れる」が、見抜かれる。隠そうとしても、人物というものが滲み出てきてしまう。 顔に責任を持てという。子供の内はいいが、いい大人になったら思いと行いの結果が顔に出る。怖いといえば怖いが、当然のことだ。数十年もくだらないことを考えてろくな行動をとっていなかったら、それこそ自然にそういう顔になる。逆に、天賦の美貌、生まれつきの顔立ちのよさがなくても、自分の努力でいい顔が手に入る。 顔は名刺とはそういうことだ。 #
by bgst
| 2014-06-05 08:32
|
ファン申請 |
||