As Usual
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電車に乗っていて、ふと頭をよぎったのでメモしておく。ただのメモだ。
投資というとまともな感じがするが、ギャンブル(賭け事)というと否定的なニュアンスがある。でも、よく考えてみると、そう簡単に二つを分けることはできない。 競馬はギャンブルと言われている。でも、徹底的に研究した上でお金を賭けた場合はどうだろうか。馬の系統・素性を調べる、競争当日の馬の調子を予測する、競技場のコンディションを見る、競走する他の馬を調べる、騎手の素性を調べる、騎手の体調を予測する、騎手と馬の相性を見極める、馬の勝敗歴を精査する、馬と競技場との関係を予測する、前日や当日の天気を考慮するなどなど研究対象となる事柄は多々ある。八百長はないという前提で、自分の資産状況に応じ、競馬も資産形成ポートフォリオに入れて、これらを全て調べ分析した上である特定の馬を選ぶのであれば、これは投資なのではないか。ある一定の金を理論的にも直感的にも吟味した対象に投じ、その対象が成功した度合いに応じて、見返り金を受け取る。成功がまったくなかった場合は投じた金は戻ってこない。投資と違わないような気がする。 株は投資対象と認められている。ある一定の金を理論的にも直感的にも吟味した対象株に投じ、その株を売っている企業の業績や経営判断・株主総会で配当金が決まる。配当がある場合も無配当の場合もある。株価が下がって、当初の一株あたりの購入価額を割る場合だってある。株が値上がりしたときに株を売却すれば、値上がりの度合い、手数料などに応じて利益が出る。悪くすれば、株券が紙切れ同様となり、投じた金が戻ってこない。素人がインターネットで、誰にも相談せず、株の勉強もせず、自分の気分だけでたくさん株を買ったとすると、それはギャンブルなのではないか。 徹底して吟味して買った馬券と、何も考えないでただ購入した株券と、さてどちらが投資でどちらがギャンブルなのだろうか。 それとも、二分法ではなく、ギャンブルは投資になり得、投資はギャンブルになり得る、という風に考えるのか。 株の場合は、金を出した後に経営者に対して経営について注文をつけて、株価が上がる方向へ経営を誘導することが理論的には可能だが、競馬の場合は金を出した後は天に任せるしかないというのが違う。また、株の場合は一般に株価が一日のうちに極端に暴落するということは少ないが、競馬の場合はその日のうちに白黒の勝負がついてしまう。さらに、株では企業の情報公開が法律で義務付けられていて、対象がよりわかりやすくなっているが、競馬では情報公開は法律では決まっていない。つまり、株には金を払う前と後にクッションがあるが、競馬にはない。では、クッションがあれば投資で、なければギャンブルなのか。 株の場合、実際には個人株主の経営への本格的な参加と経営の誘導は簡単ではない(だいたい株主総会は年一回)し、株式市況が短日のうちに悪化することもある。情報公開もされてはいるが、質的に十分かどうかは企業によって異なり、議論の余地がある。要するに、クッションはあっても、空気が抜けかかっているクッションのような感じだ。そう考えると、株は競馬に近づいてくる。 でも、結局最後は金を投じる人の状況が投資とギャンブルを分けるのではないか。多方面から情報を集め、よく勉強し、人の意見に耳を傾け、それらを総合的に吟味分析したうえで、生活に無理のない形で行うのであれば投資で、その逆がギャンブルになる。 ここで一つ付け加えなければならない。投機的な株式投資がよく批難されるが、上の条件を満たしているのであれば投資になる。但し、投資が正常な市場経済を乱す(この定義が難しいが)ものであれば、それには批難のニュアンスを込めて投機という形容詞が付くだろう。投機的であっても合法であればいいとする態度もあるが、問われているのは倫理の方だ。一方、競馬の方はするもしないも成人であれば個人の自由ということになっている。馬券を買う資格審査はないから、生活が破綻していても、或いは生活に余裕がなくてもどんどん馬券を買うことができる。合法的に馬券に金を投じる倫理に欠けた個人が問題となる。 株も競馬も最後は倫理に行き着くか。ここまで来ると投資かギャンブルかはあまり問題ではない。
by bgst
| 2005-08-25 19:50
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