As Usual
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お盆というものをあまりよく知らない。もともと親の親戚が東京近辺に集まっていたのと、お盆に関する行事などを家族で行う習慣がまったくなかったので、今でも体験的に語ることはできない。
8月中旬になると、他の人達が休みをとって田舎に帰るとか、新聞でお盆関連の記事が出ているのを読んだりするとか、お店が数日間閉店するとか、そういう間接的な情報をもって、長年お盆を想像してきたに過ぎない。そこで、ここではそれを逆手にとって、お盆についてゼロベースで調べて、感じることをクールに記すこととする。 お盆とは何かよく知らないので、ネットでまず調べた。以下は「お盆のこんな話?」と「目連尊者」、Wikipedia 、語源由来辞典に基づく。 *正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)といって、先祖の精霊を迎え追善の供養をする期間(7月または8月の13日より16日までの4日間)のことを指す。もとは旧暦の7月15日が盂蘭盆会の日だった。明治以降、地域によって、新暦での7月15日と8月15日、及び旧暦での7月15日を盂蘭盆会の日としている。 *インド仏教の故事と中国・日本の祖霊祭祀(中元といって、先祖に供物を供え、灯籠に点火して祖先を祭る風習も含む。もとは中国の道教における天神信仰の上元、中元、下元のうちの中元。道教では、中元を人間贖罪の日として、一日中火を焚いて神を祭る盛大なお祭りが行われた。)や農耕儀礼が結びついてできた。インド仏教の故事とは釈迦の弟子の一人、目連尊者(もくれんそんじゃ。目連はモッガーラーナ、maudgalyaayanaの漢読)が母を救う話だという。すなわち、目連尊者がある時、亡き母が餓鬼道に落ち、逆さ吊りにされて苦しんでいるのを、神足通(行きたいところに自由に行ける神通力)によって知り、救う方法を釈迦に相談したところ、 「修行期間の雨安居(うあんご)の最終日である7月15日に僧侶を招き、多くの供物をささげて供養すれば母を救うことが出来るであろう」と言われた。その通りにしたら、僧侶の神力によって母親は救われた、というものだ。盂蘭盆会とはインドのサンスクリット語のウランバナ(逆さ吊り、ullambana、उल्लम्बन)を漢字で音写したもので、 転じて「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」という意味だそうだ。尚、インドから伝わった考えには親を敬う儒教の色彩が中国で加わったとも言われている。 盂蘭盆会が逆さ吊りの意味を表しているというのは予想の範囲を超えていてとても興味深い。「Daioo Japan」というホームページによると、餓鬼道というのは仏教の六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人道、天道)の一つとして位置づけられていて、物惜しみをし、貪り、嫉み、妬んだ者が鬼となって堕ちる世界だという。その一つは地下500由旬(7200km)の閻魔王の国にあり、もう一つは人間界と天界の間にあることになっている。餓鬼となった者は人間界の1ヶ月を1日として500年間、ここで苦を受けるということだ。目連尊者の母はここでウランバナされていたことになる。 こうして500年間x 12ヶ月x 30 日 x 30 日= 540 万日も、とんでもなく不幸な鬼となってウランバナされたりするのはあまりにもかわいそうなので、供養をして餓鬼道の世界から解放しようとするわけだ。想像を絶する長さなので、苦しいに違いない。なってしまう「鬼」にはいく種類もあるらしい。Daioo Japan によると、 + 鐫身(かくしん) 人間の倍の身長があるが顔も目もなく、手足は釜の脚のようである。火が体の中に満ちていて身を焼く。財を貪り、殺生を行った者がこの報いを受ける。 + 食法(じきほう) 色は黒雲のように黒く、涙を雨のように流し、食を求めて走り回っている。名誉や利益を得ようと不浄な説を唱えた者が、この報いを受ける。 + 食水(じきすい) 飢えと渇きに水を求めるが苦しみばかりで得ることができない。長い髪が顔におおいかぶさっていて何も見えず、河のほとりで渡る人の足から落ちるしずくや、亡くなった人、父母に供えられた水などをわずかに飲んで生命をつなぐ。自分から水をくんで飲もうとすると、水を守る鬼たちが杖で打ちすえる。酒に水を加えて売るなど不当に利益を貪った者が、この報いを受ける。 などの他、もっとおどろおどろしい、凄いのがいる。よく考えたものだ。 昔の人は、こういうのを想像して、絶対自分は餓鬼道には落ちるまいと考えたのであろうか。或いは、自分の子孫がお盆で供養してくれて、助け出してくれると真剣に考えたかもしれない。餓鬼道の他に、地獄道、畜生道、阿修羅道もあるわけだから、大変だ。こちらも供養してもらうと抜け出せるのだろうか。 こうした過激さも、幸いに日本の祖先崇拝や農耕儀礼と習合したおかげで、江戸時代には和らいだようだ。さすが、丸みの好きな近世日本人だ。 お盆で、「先祖を餓鬼道から救い出そう」と思っている人はいないだろう。それとも、そういう人もいるのか。だいたい祖先が六道のどこにいるのか神通力のない凡人にわかるのだろうか。お盆を知らないので何とも言えない。
by bgst
| 2005-08-15 16:03
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