As Usual
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細かな部分にこだわってこそ完成度が高くなる。その典型のようなものを見た。旧古河邸は大正6(1917)年に竣工しているが、大きく張り出した屋根の上に二つの避雷針が見える。それが巧みに装飾されているのだ。
竣工時からあったものか、その後の補修で施されたものか分からないが、避雷針の根元から中間部分までが曲線を多用した何本かのエレガントな線によって美しく囲まれている。避雷針というより、屋根の上で全体のデザイン・バランスを調整するアート作品だ。多分、手作りだろう。 こういう配慮は最近の建築ではほとんど見られなくなってしまった。経済性と機能性を重視すれば、避雷針をアート化するなど「無駄なこと」として片付けられてしまう。でも、そういう「無駄なこと」が歴史的に文化を育んできたのは事実だ。 そして、「無駄なこと」はずば抜けて金持ちだった人々が行ってきた。旧古河邸は明治の元勲とされる陸奥宗光の別邸跡に旧古河財閥の三代目当主古河虎之助がジョサイア・コンドルに設計させたものだ。古河財閥は足尾銅山等を経営していたが、この建物は鉱毒事件もひとまず片付いた(戦後再発)年に建てられている。 鉱毒事件を起こしながら稼いだ金で建てたという非難はできよう。ただ、そういう論理で行くと、歴史的に有名な世界中の相当のものが全部非難の対象となってしまう。ローマのコロセウムは巨大なアート作品だが、それは同時に殺戮の見せ場であり、ローマ帝国が周辺民族を侵略して得た富の蓄積を背景にしてできている。ピラミッドは膨大な数の奴隷の労働力なしでは完成しえなかったし、ヨーロッパの古い教会は宗教を口実に集められた資金で建てられている。日本の封建時代における数々のすばらしい手工芸品は文字通り「命をかけて」作られたものだ。 アートがそういう負の価値から離脱するのは概ね現代になってからで、だからこそ、それ以降アートは「完成度」を高めるのが難しくなっているともいえる。アートは金や死や搾取と隣り合わせだ。 アートはそういう位置にある。
by bgst
| 2006-05-01 09:17
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