As Usual
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ヤモリのことを書いて一日たったら今度はカタツムリを思い出した。子供の頃、梅雨時になると必ず現れた。小雨降る中、紫陽花の葉の上にたくさんいた。それが普通の光景だった。
生き物がいなくなっていく。こういうことは繰り返されているのだろう。母親が子供だった頃、近くを流れている呑川では鰻やドジョウがとれた。今やこの川はコンクリートで「完全武装」された巨大溝になっている。 と、普通はこういう文章ではノスタルジー的な終わり方をすることが多い。昔を懐かしむというのは悪いことではないが、情緒的な感慨だけでは片手落ちであろう。 時代を大正、明治、江戸とどんどん遡り、縄文時代前期に戻すとどうなるか。呑川は存在していない。縄文海進の時期には、現在台地となっている所以外はあたり一面全部海だった。 人はどうしても自分に引き付けて物事を考えがちだ。普段はその枠の中で過ごすことが多い。だが、一定のフレーム内に安住するということは、そのフレームの限界の中で生きるということだ。時々は、敢えてそこから脱することが知的訓練になり、知恵を育むことにもなる。 普通でない普段は自ら作り出す。
by bgst
| 2014-06-24 10:17
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