As Usual
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幕末・明治期に日本に滞在した外国人が書いた日記や随筆が興味深い。
当時の日本の状況を描写しているのが、ちょうどタイムマシーンのような感覚をもたらす。江戸・東京の街並み、人々の活動、商店や商品など日常生活上の日本についてのあらゆる観察や感想が書かれている。作者は、まだ世界が「広かった」時代に来日した人達だから、外交官、主要ビジネスマン、裕福な旅行者が多い。よって、日本を見つめる目にはそれなりの偏りがあるが、出版すること自体が一大事業であった時代だけあって、皆かなりのレベルの観察眼や批評精神、描写力を備えている。 明治初中期の記述で一つ共通して語られることがある。それは「日本人は和装の方が洋装より美しい」というものだ。当時洋装していたのは上位の人々が中心で、それも外国人との社交のため、国際社会に一流国として認知されたいというのが本音だった。自宅でくつろぐ時や日本人だけの会合は和服で通したりしていた。慣れない服を着てきれいに見えるわけがない。それに日本人の体型が洋装にそぐわないという根本的な問題がある。 お国のために洋装を、というのは法令上は1872(明治4)年9月に服制に関する詔勅が下され、翌1873(明治5)年に「礼服ニハ洋服ヲ採用ス」という太政官布告が出されたのが最初だ。それ以前にも軍人や警官は洋装(制服着用)していたが、文官はまだだった。和服礼装(裃や束帯)は廃止され、政府の役人には大礼服や通常礼服の着用が義務づけられた。これに対し、女性の洋装化は、明治1886年(19年)6月23日に宮中で皇后以下の婦人が洋装することを許可されるまでは進まなかった。それまでは公式には和服だから、外国人との社交のためにはほとんどの女性はわざわざ洋装していた。既に海外留学や旦那の赴任同伴をしていた女性には洋装問題はなかったが、それはごく限られた少数の女性の話だった。 文字通り、「上からのお仕着せ」で洋装化が進められたわけだ。無理やりだったせいか、浸透するにはかなりの時間を要した。詔勅が下ってから32年後の1904年(明治36年)においても議論が起きている。総理大臣であった伊藤博文が、当時の最先端社交場であった鹿鳴館においては洋装にすべしと決定したのが、医師で宮中担当医でもあり、お雇い外国人のエルヴィン・フォン・ベルツの反対にあった。ベルツは和装が日本人の体型にあっていると主張したのだ。 その議論から104年が経った。洋服は日本人の普段着となり、一部の人を除き和服は特別な時かまったく着ないかのどちらかとなった。ここ数年、夏場の花火などで浴衣姿が増えてはいるが(浴衣は平安時代に原型が成立したらしい)、それは「オシャレ」であって、「馴染み」の服装ではない。それでも、浴衣が日本人に似合っているのは誰の目にも明らかだろう。純粋に格好だけ考えれば、和装の方が日本人にはフィットする。 そのうち、詔勅や太政官布告の現代版をやる必要が出てくるかも知れない。自発的には変わらないから「お上」からのお達しが意味をなす。もともとずっと着ていた和服だが、それほどまでに疎遠となった。別に洋装を止める必要はないが、和装の見直しはあってもいい。和服奨励政策でもあれば広まっていくだろう。少しづつでも継続すれば変わっていく。ハワイでの公式の場におけるアロハ着用はそう昔に始まったわけではない(アロハは伝統着ではないがハワイらしいという思いがある)。沖縄の「かりゆし」着用(これも伝統着ではないが、地域ブランドとなってきている)は1970年代に始まり、県庁レベルでの本格普及は九州・沖縄サミットがあった2000年からと言われる。 高温多湿の日本の夏を過ごす故、このような話題となった。それでも、季節を超えて和装の面白さは評価されてしかるべきと思う。かく言う自分はこれまで和服を纏ったことがない。言行一致を旨としているので、これは正す必要があろう。しかるべき時にしかるべくと思いつつ、悪しき惰性に身を委ねてきたのがいけなかった。 勝手な想像だが、あと50年もすれば和装は復権するのではないか。区(市に昇格しているかも知れない)の出張所で和服姿の地方公務員から住民票が発行される様を想像する。なぜか洋服より真摯な感じがする。これもバイアスに過ぎないが、それがバイアスと思われぬほど、どこかに和の精神が温存されている。 明治期に来日した外国人の気持ちを思う。不思議かな日本人。 ■
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by bgst
| 2013-08-04 22:58
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