As Usual
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とても興味を惹くものに出会った。母衣(ほろ)だ。
最初見た時は何だかわからなかった。それは桃山時代・江戸時代に描かれた祇園祭の絵に出ていた。祭りの行列に武士が何人か参加していて、そのうちの数名が身体の後ろに大きな風船のような飾りを付けている。かなり派手な代物だ。祭りでアトラクションの役目を果たしている。今見ても奇抜だから、「当時の人々にとっては風変りでたいそう驚いたに違いない」と思い込んだ。 ところが調べてみると、人々にとって見ず知らずのものではなかった。後年、アトラクション用として発展したのは間違いないが、平安時代にれっきとした武具として生まれていたのだ。戦場において、騎馬武者が背部に布をたわませておき、馬が駆けるとそれが風をはらんで背後に長く膨らみ、流れ矢を除けていた。 戦国時代になってからは、母衣(目立つ色で作られていた)は防具というよりも名誉を示すミリタリー・ユニフォームとして、一部の精鋭武士や使番(大名が指揮をとる本陣と戦闘が行われている前線を行き来する役目の武士)に使用が許されるようになっていく(参考写真:織田信長の精鋭、赤母衣衆を金沢の「百万石行列」で再現)。 ここから、祇園祭などの晴れの舞台に母衣を着用して登場するようになり、最終的には意匠を凝らした派手なコスチュームとなっていったわけだ。 世の中、何がどう展開していくかわからない。それが面白い。
by bgst
| 2012-07-18 09:48
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