As Usual
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花をきれいだと思うのは、言語を使うからだろうか。
言葉を知らなかったら、「きれい」という感覚も持ち得なかったはずだ。視覚は赤、黄、青、緑などの色に反応して分別するが、それらについて何がしか表現するためには、道具としての語彙や、それらをとりまとめる文法らしきミニマムのルールについての理解が必要だ。それは口を動かして発音するか否かに関わらない。頭の中だけで反芻するにも、言葉として構築できていないと、反芻しようがない。 それに、言葉がなければ「花」もない。あるのは、目で認識された「何か」だが、それが「もの」という物理的な大きさを備えたものだという概念すら持ち得ない。「何か」というシグナルもあやふやに違いない。普通、花のバックグラウンドとして認識すべき空気の部分や下にある土、花を支える茎や近くの葉なども、その「何か」と分離しているのかさえ、「分離」という言葉がない以上、何だか明確ではない。 それでは、言葉がないと寂しいのか。それも違う。「寂しい」という感情も表現し得ない。そこまで行き着くプロセスを作り出す術がすべて欠けている。 否定的な意味も肯定的な意味も見出せない。言葉を持たない人間とその外にあるモノとの関係も規定しようがない。関係という概念が生じ得ないのだ。 言葉を知った人間から見たら超絶した世界だ。でも、言葉を持たない人間には、もしそういう人がいたとするならば、それは超絶もしていない。 ■
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by bgst
| 2011-04-28 21:50
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