As Usual
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命には限りがある。「限り」というから限界という思いが浮かぶ。だが、限りがあるからこそ面白みもある。永遠に生き続けて、何でも知ることができ、すべてのことができるのであっては「やりがい」などというものは生まれない。限りにこそ意味があり、だからこそ、その中で最善を尽くそうとする。
限界というのは実は魅力溢れる出発点なのだ。 #
by bgst
| 2014-10-30 21:44
成長するというとポジティヴに聞こえる。子供が成長する、経済が成長する、植物が成長する、などそれだけ聞くと何も問題がないような気がする。
ところが、子供は成長して最後には老人となり死を迎える。経済は成長するときもあるが、歴史的に見て、永遠に成長を続けた国や地域はなく、必ずや衰退がある。植物もかなり長生きするものがあるが、ここにも永遠の命はない。 成長とは、ある一時期を飾る言葉に過ぎない。それを更に自らの有限の生の中で捉えようとするから益々事実から離れることになる。自分が生きている間に成長をなそう、見よう、経験しようという、言ってみれば個人的な欲が問題を大きくする。 どこまで個人的な欲を抑え、淡々と世の中を見て一生を終えるか。金が幅をきかせる現在の資本主義社会の中で、どうやって「適度」に生活を営むか。口で言うのは簡単だ。実際の行動はどうするのか。 食事をし、服を着て、家に住み、健康を維持しながら毎日眠りにつく。これを「適度」にするだけでも金がいる。では、過剰な欲に駆り立てられないようにしながら、一方で金を稼ぐとして、いくらが「適度」なのか。だいたい「適度」といっても人により何を「適度」と見るかは千差万別だろう。若者と老人では活動が異なる。健康な人とそうでない人でも大きく違う。定義は極めて作りづらい。 それでは、いったん、「適度」かどうかは脇に置き、別の角度から見てみよう。実際、世の中ではどのくらいの割合の人・世帯がどれくらいの収入で生活しているのか。厚生労働省による平成25年国民生活基礎調査から拾ってみる。 100 - 200 万円未満 全世帯の13.2 % 200 - 300 万円未満 全世帯の13.3 % 300 - 400 万円未満 全世帯の13.2 % 平均所得金額537.2 万円以下の世帯合計 60.8 % 500 - 600 万円未満 全世帯の 9.0% 600 - 700 万円未満 全世帯の 7.3% 700 - 800 万円未満 全世帯の 6.5% 800 - 900 万円未満 全世帯の 5.2% 900 - 1000 万円未満 全世帯の 3.8% 1000 - 1100 万円未満 全世帯の 3.0% 1100 - 1200 万円未満 全世帯の 2.0% 1200 - 1300 万円未満 全世帯の 1.5% 1300 - 1400 万円未満 全世帯の 1.1% 1400 - 1500 万円未満 全世帯の 0.9% 1500 - 1600 万円未満 全世帯の 0.6% 1600 - 1700 万円未満 全世帯の 0.5% 1700 - 1800 万円未満 全世帯の 0.3% 1800 - 1900 万円未満 全世帯の 0.2% 1900 - 2000 万円未満 全世帯の 0.2% 2000 万円以上 全世帯の 1.0% 中央値 432 万円 (低い方から高い方へ順に並べて二等分する境界値) 平均所得金額 全世帯 537.2 万円 平均所得金額 高齢者世帯 309.1 万円 平均所得金額 児童のいる世帯 673.2 万円 全世帯の 6 割以上が平均所得金額以下の所得で暮らしている。それでは、残りの4割弱はどうかというと、結構稼いでいるように見えるが、実際は借入金も多いから、これだけでは判断できない。 一世帯あたり平均借入金額 438.7 万円 (平成25年6月末日での現在高及び残高) 一世帯あたり 一年で537.2 万円稼いではいるが、438.7 万円の借りがあるわけだ。一方、高齢者になると実際の稼ぎ(収入には年金も含まれる)は平均より 200 万円以上少ない309.1 万円だが、貯蓄額が多い。 一世帯あたり平均貯蓄額 -1,047.0 万円 高齢者世帯貯蓄額 -1,268.1 万円 世帯主60-69 才 世帯貯蓄額 -1,399.3 万円 世帯主70才以上 世帯貯蓄額 -1,312.8 万円 ここで、「適度」の話に戻る。一世帯あたり 537.2 万円/年稼いで、438.7 万円借入金があるのが、「適度」かどうか。日本では、住宅の確保に多大なコストがかかる。これが常識と思われている。でも、それは主に都市での居住ではないか。国土の70% 以上が山という日本で、面積が少ない都市に人が集中すれば当然住宅コストは高くなる。地方(地方都市ではない)であれば、土地代は都会よりはるかに安い。 もし仮に、大多数の日本人が都市への居住を避ければどうなるか。別の言い方をすれば、「都会的な便利さ」を捨てるということだ。今さら、自ら田畑を耕し、或いは山林や河川を原資として生活を営むことなど幻想だと思うかもしれない。第一次産業従事者は年々減って「たった」の315万人(15歳以上就業者数の5.1%、2005年国勢調査)になっている。でも、1950年代半ばまでは就業者の半数以上は第一次産業従事者だった。60年程度でこうなったということは、逆に言えば、意志さえあれば、60年程度で 50% とはいわずとも20-30%ぐらいには回復できるのではないか。これは単に個人的な意志の問題ではなく、国家政策としてやるという前提だ。戦後、第二次・第三次産業が増えたのが国家政策と関係なかったとは到底言えない。 537.2 万円稼いで、438.7 万円借りる代わりに、200万円稼いで借金ゼロはどうか。金融業界からは敵視されるだろうから、国家政策にするには政治家はじめ関係省庁や団体による相当の腕力が必要だ。一方で、国の食料自給率も上がり、日夜PCにかじりついて身体を動かさない労働者が減り、コンビニ依存性夜行生活から脱し、健康になって医療費は減る。 これは夢なのか。こういうことを議論して、将来を考えるのが本当の政治ではないのか。 「経済成長」の言葉に騙されないように、備忘録として書いておく。 #
by bgst
| 2014-08-16 10:28
ここ二週間ぐらいか。家の周りに蜘蛛の巣がたくさん張られるようになった。盛夏ということで、蜘蛛も本領を発揮している。
かたや、いつもの年なら何匹も鳴いている蝉が今年はまったくいない。庭に植えてあった大きな桜の木が二年前に立ち枯れてしまったが、そのせいかも知れない。桜にはよく蝉がついていた。他にも樹はあるのだが、桜ほどの大きさではない。 ちゃんと観察すれば家の周りにはもっといろいろな事が起きているのだろう。全体の0.1% も見えていないのではないか。 翻って、地球上で起きていることでしっかりと理解できているものは 、% の計算すら意味もないほど少ないはずだ。それでは宇宙ではどうか。それこそ天文学的に何も知らない。 その何もわかっていないものを、わかっているかのような態度で対象化しようとする人間の限界を徹底的に理解することから始めなくてはならない。 #
by bgst
| 2014-08-04 15:13
これで「エアコンの故障」について書いた三部作・完結編となる。
しばらく電源を切らず、つけっぱなしにしていたが、身体の冷え過ぎと電気代が心配になり、さすがに切ることにした。これで偶然の復活も途絶えるかと思われたが、再度スイッチを入れたところ難なく「冷房」が機能した。その翌日も、その翌日も、いつダメになるかと思いながら使っていた。 ところが、今日まで「復活」が続いている。大変ありがたい。何か奇妙な感じが残るが、たかがエアコンの故障だ。気にし過ぎてもいけない。 ただ、三部作も終わったし、「エアコンの故障」の顛末について個人的な包括的説明を試みるのもいい。一つ、「一喜一憂」というフレーズが浮かんだが、最初の時点でエアコン修理人の断言があったわけで、その際には完全に諦めており、その後の復活・改善を期待したわけではないから、この言葉は不適当だ。 故障したという「思い込み」や、もっとしつこく修理人を追及しておけばという「後悔」のような感じもあるが、これらは、一連の展開の中での一時点でのみ有効なフレーズであって全体をまとめて描き切れていない。 とここまで思って、自虐的に「夏の風物詩」というのに辿り着いた。エアコンは夏の季語(!)だと勝手に考える。ここ二週間ほどの、たわいもない個人的経験を風物詩としておけば、来年、或いはこの夏の間また同じようなことが起きた時に自動的に「正しい」モードにロックインできる。スマイル! #
by bgst
| 2014-08-04 14:46
面白いことが起きた。
故障したはずのエアコンが回復している。数日前までは、「冷房」にすると、「送風」と同様、ただの風が流れてきた。何もないよりいいので、エアコンをつけっぱなしにしていた。それが、昨日のある時点から「冷房」が機能しだした。修理の人が「基盤が壊れて」だめ、と言っていたのに、今や冷たい風が出てくる。 電源を落とすと「冷房」機能がまただめになるかと思い、怖くて切れない。つけっぱなしで少々寒くなるが、しょうがない。 そうか、これは電気代がかさむことへの対応力が試されているわけだ。そう思うことにする。エアコン故障のごときが、数日内で私的理論転換を迫る。 普通でない普段、実に愉快だ。 #
by bgst
| 2014-08-01 14:27
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