普通でない普段 Unusualness of Usual Days
2015-12-30T11:16:07+09:00
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大沢知之の「普通でない」「普段」
Excite Blog
人の美、自然の美
http://ohsawa.exblog.jp/24006023/
2015-12-30T11:16:00+09:00
2015-12-30T11:16:07+09:00
2015-12-30T11:15:21+09:00
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未分類
自然の美は思いと行いがまったくないところにある。
人の美の追求が極限に達すると、「思い」がなくなり、「行い」が意思の力を借りずに成立する。本人が「気が付いたら」完全な形で行われていたというのが理想だろう。
無我に至って、自然となる。ここで人の美と自然の美は一致する。]]>
相対的非日常性は「普段」の中にある
http://ohsawa.exblog.jp/22749420/
2015-01-23T07:50:11+09:00
2015-01-23T07:49:29+09:00
2015-01-23T07:49:29+09:00
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未分類
夜、仕事でコンサートを聴いていると、今回招聘していただいた地元の方が来て、「オーロラを見に行くから来ないか」と言われる。22:30頃、車に乗って近くの山へ向かった。5 分ほどで頂上らしき平らなところに出た。「向こうに出ている」というので見てみると、遠くの山の稜線に沿ってかすかに薄い雲のようにたなびいている。上空を見上げるとそこにも薄く帯状に流れている。うっかりすると天の川と見間違う。満天の星とは別に川のように流れている。
写真で見慣れた濃い緑や青のものとは随分と違う。いや、その随分と違うところが余計にリアルさを醸し出している。本物だという気がする。初めて地上で見ることができた。だからといって凄く感激というわけでもない。冬の晴れた日の夜、北極圏にある、オーロラが出ることで知られた街の近くの暗い山の上に行ったから見えたのだ。確率が数学的にどのくらいになるのかはわからないが、因果律は確実に働いている。
それでは、そういう「あたりまえ」のことなのになぜ Blog に書くのか。肉眼で見たのが初めてだからか。日本では滅多に見られないからか。「普通」の日本の暮らしでは体験できない非日常性溢れることがらだが、これはBodø にとっては「普段」の範疇内だ。同じ人間が空間軸を変えたから「普通でない普段」が登場した。ということは、Bodø の人が日本で台風の目の中に入ったら 「Blog もの」になるのだろうか。或いは、震度 6 程度の地震に遭遇したらBlog に書くレベルなのだろうか。
つまり、これは人間にとっての相対的な新鮮さや驚きのレベルの問題なのか。富士山が連日のように噴火しているのを見ていた縄文時代の人々の気持ちが知りたい。
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人間の勝手
http://ohsawa.exblog.jp/22746616/
2015-01-22T01:07:00+09:00
2015-01-22T01:13:29+09:00
2015-01-22T01:07:16+09:00
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未分類
現地の人によると、今日は見られる可能性が高いらしい。オーロラ出現の可能性を予想するシステムらしきものがある。19:00から数時間仕事をして、その後にでも見られたらいい。また睡眠を優先してしまいそうな気もするが。
ここ Bodø はオーロラを観光資源にしている。ホテルの部屋に置いてある案内書の表紙は街の上にオーロラが輝いている写真だ。オーロラは太陽のプラズマが地球の磁気圏に衝突して発生すると考えられている。宇宙的原理が観光客を呼ぶ。それでも身体的原理が睡眠を呼ぶ。睡眠周期があるからだ。そしてその周期は脳内視床下部の視交叉上核にある体内時計(概日リズム)が一日24時間10分であることに起因している。それは当然ながら地球の自転と関係している。国際地球回転・基準系事業 (International Earth Rotation and Reference Systems Service)によれば、恒星に対する地球の自転周期は 86 164.098 903 691秒(23時間56分4.098 903 691秒)だ。
何のことはない。オーロラと睡眠はどちらも宇宙原理に支配されている。両者に優劣はない。どちらを優先するかは人間の勝手だ。オーロラを見て睡眠不足になるのも、見ないで寝て健康維持に努めるのも大して変わりはない。
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今日はここでやめておく
http://ohsawa.exblog.jp/22744367/
2015-01-21T06:11:00+09:00
2015-01-22T00:29:26+09:00
2015-01-21T06:10:13+09:00
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未分類
ここノルウェーはヨーロッパ大陸の一番北に位置する。その中部少し北あたりにBodø(発音は人によるが、ブーデー、ボードーと聞こえる)という町がある。北極圏は北緯66度33分以北をいうから、北緯67度18分20秒 のBodøはギリギリ北極圏内だ。
冬は一日ずっと暗いとノルウェー人にも言われていたが、到着した14:00 台はまだ明るかった。15:00 台から夕方のようになり、16:00 を過ぎたら真っ暗になった。今夜はオーロラが見られるらしい。昨夜に見られて、今日も晴天だからと言われた。
少しばかり仕事をして18:00を過ぎたので街を歩いてみることにした。外はさすがに寒い。でも、マイナス5度程度だから北極圏としては暖かい。沿岸部をメキシコ湾流が洗っているせいだ。70年代にオーストリアのスキー場でマイナス 17度を経験していたので、顔や髪の毛に氷滴がまとわりつかないのでは大したことはないなと思う。でも、首都オスロが 3度ぐらいだったので、一気に8 度も温度が下がったことになる。Bodø は港町で風が強いから体感温度は結構寒い。歩き回るつもりだったが、ホテルを出て100メートルもいかない内に、お店が集まっているビルに逃げ込んだ。手袋をしていても手が寒い。ここで町の暖房系統が全滅したら生きていけないのではという思いがよぎった。
インテリアの店を見る。いかにも北欧のそのまた北部らしい色彩のものが多い。白、ごく薄い緑、濃い青など自然の色を反映したと思える色使いだ。海色の濃い青以外は強いトーンの色がない。どこかみな薄い膜がかかっている。商業ビルの中はそれなりに人がいる。でもオスロとはだいぶ雰囲気が違う。多国籍でいろいろな顔の人たちが行き交うオスロはノルウェーでありながらもコスモポリタン・シティーだ。Bodø はノルウェー北部らしく金髪碧眼の北欧人とフィンランドなどでもよく見られる黒髪で顔立ちがはっきりした北欧人で占められている。歩いていると、日本人/オリエンタルを見るのが珍しいのか、少しばかり見つめられたりする。オスロとはまったく違う。60-70 年代のウィーンを思い出した。
泊まっているホテルの最上階に行ってみた。展望がきくレストラン・バーになっている。時間が少しばかり早いのであまり人がいない。しばらくバー・コーナーのソファに座っていたがオーダーをとりに来ない。そうだ、注文はカウンターのみで受けるのだ。日本ボケしていた。従業員が英語で会話していたが、一人はスコットランド人か、イギリスの感じがする。客席にはロシア語を話す一組、ノルウェーの船員風の三人組などがいる。結構飲んでいるらしい三人組の一人はかなりのダミ声で大声で話している。今の日本では絶滅危惧種だろう。昔はこういう酔っ払いがいたななどと思う。「船員」のもう一人が紙巻タバコをとり出し、たばこを巻きだす。ホテルは全面禁煙だから吸えないはずだと思っていると、左手で持って吸うような仕草をしているが火は点けない。そのうち今度は手持ちのi-phone でロックを流し出した。バーにはかすかにBGM が流れているが、それを無視しているのか、聴こえていないのか、i-phone の音量が大きくなる。ダミ声の「船員」が仲間に大声で話しかけたり、わめいたりしている。しばらくして、カウンター内にいた従業員が歩み寄り何事かを伝えた。i-phoneの音が止まる。興醒めしたのか、間もなく「船員」達は外に出るべくセーターやジャケットを着だした。ダミ声のわめき方がより頻繁になる。何を言っているのかわからないが、注意されて気分を害したと勝手に想像する。結局、バーがだんだん混んできた中、「船員」達は帰っていった。まだできて間もないBodøの高層ホテルが、昔どこかで見たような田舎にある港町に酔っ払いがいる風景と奇妙なコントラストを見せた。これは60-70年代に、日本の田舎に突然建ったモダンなホテルで起きていたことと同じではないか。
さて22:00 を過ぎた。そろそろオーロラが現れる。そう思うことにして今日はここでやめておく。
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完全は危ない
http://ohsawa.exblog.jp/22603465/
2014-11-27T13:20:00+09:00
2014-11-27T13:22:08+09:00
2014-11-27T13:20:37+09:00
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不必要に完全を求めると、無駄な時間を過ごすことになる。気持ちがいいからといって一日中家の中を掃除していては、できること、やるべきことができなくなる。おいしいからといって徹底的に料理の素材に凝って、下準備に時間をかけると、これも他のやるべきことができなくなる。
もちろん、掃除のプロや料理のプロはこの限りではない。とことん追求して完璧を目指せばいい。問題なのは、自分が真に目指すべき領域以外に時間をかけ過ぎることだ。
どこでどのように完全を目指すのか。間違えば大きな時間的損失を被る。
時間をかけていい、自分にとって意味のある目標の設定と、それに向けてかたむける努力において「完全の追求」は正しい意味を持ち得るのだ。
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限界とは出発のことなり
http://ohsawa.exblog.jp/22528045/
2014-10-30T21:44:19+09:00
2014-10-30T21:45:29+09:00
2014-10-30T21:45:29+09:00
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限界というのは実は魅力溢れる出発点なのだ。]]>
「成長」は本当にいいことか
http://ohsawa.exblog.jp/22294082/
2014-08-16T10:28:00+09:00
2014-08-16T11:04:18+09:00
2014-08-16T10:28:35+09:00
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ところが、子供は成長して最後には老人となり死を迎える。経済は成長するときもあるが、歴史的に見て、永遠に成長を続けた国や地域はなく、必ずや衰退がある。植物もかなり長生きするものがあるが、ここにも永遠の命はない。
成長とは、ある一時期を飾る言葉に過ぎない。それを更に自らの有限の生の中で捉えようとするから益々事実から離れることになる。自分が生きている間に成長をなそう、見よう、経験しようという、言ってみれば個人的な欲が問題を大きくする。
どこまで個人的な欲を抑え、淡々と世の中を見て一生を終えるか。金が幅をきかせる現在の資本主義社会の中で、どうやって「適度」に生活を営むか。口で言うのは簡単だ。実際の行動はどうするのか。
食事をし、服を着て、家に住み、健康を維持しながら毎日眠りにつく。これを「適度」にするだけでも金がいる。では、過剰な欲に駆り立てられないようにしながら、一方で金を稼ぐとして、いくらが「適度」なのか。だいたい「適度」といっても人により何を「適度」と見るかは千差万別だろう。若者と老人では活動が異なる。健康な人とそうでない人でも大きく違う。定義は極めて作りづらい。
それでは、いったん、「適度」かどうかは脇に置き、別の角度から見てみよう。実際、世の中ではどのくらいの割合の人・世帯がどれくらいの収入で生活しているのか。厚生労働省による平成25年国民生活基礎調査から拾ってみる。
100 - 200 万円未満 全世帯の13.2 %
200 - 300 万円未満 全世帯の13.3 %
300 - 400 万円未満 全世帯の13.2 %
平均所得金額537.2 万円以下の世帯合計 60.8 %
500 - 600 万円未満 全世帯の 9.0%
600 - 700 万円未満 全世帯の 7.3%
700 - 800 万円未満 全世帯の 6.5%
800 - 900 万円未満 全世帯の 5.2%
900 - 1000 万円未満 全世帯の 3.8%
1000 - 1100 万円未満 全世帯の 3.0%
1100 - 1200 万円未満 全世帯の 2.0%
1200 - 1300 万円未満 全世帯の 1.5%
1300 - 1400 万円未満 全世帯の 1.1%
1400 - 1500 万円未満 全世帯の 0.9%
1500 - 1600 万円未満 全世帯の 0.6%
1600 - 1700 万円未満 全世帯の 0.5%
1700 - 1800 万円未満 全世帯の 0.3%
1800 - 1900 万円未満 全世帯の 0.2%
1900 - 2000 万円未満 全世帯の 0.2%
2000 万円以上 全世帯の 1.0%
中央値 432 万円 (低い方から高い方へ順に並べて二等分する境界値)
平均所得金額 全世帯 537.2 万円
平均所得金額 高齢者世帯 309.1 万円
平均所得金額 児童のいる世帯 673.2 万円
全世帯の 6 割以上が平均所得金額以下の所得で暮らしている。それでは、残りの4割弱はどうかというと、結構稼いでいるように見えるが、実際は借入金も多いから、これだけでは判断できない。
一世帯あたり平均借入金額 438.7 万円 (平成25年6月末日での現在高及び残高)
一世帯あたり 一年で537.2 万円稼いではいるが、438.7 万円の借りがあるわけだ。一方、高齢者になると実際の稼ぎ(収入には年金も含まれる)は平均より 200 万円以上少ない309.1 万円だが、貯蓄額が多い。
一世帯あたり平均貯蓄額 -1,047.0 万円
高齢者世帯貯蓄額 -1,268.1 万円
世帯主60-69 才 世帯貯蓄額 -1,399.3 万円
世帯主70才以上 世帯貯蓄額 -1,312.8 万円
ここで、「適度」の話に戻る。一世帯あたり 537.2 万円/年稼いで、438.7 万円借入金があるのが、「適度」かどうか。日本では、住宅の確保に多大なコストがかかる。これが常識と思われている。でも、それは主に都市での居住ではないか。国土の70% 以上が山という日本で、面積が少ない都市に人が集中すれば当然住宅コストは高くなる。地方(地方都市ではない)であれば、土地代は都会よりはるかに安い。
もし仮に、大多数の日本人が都市への居住を避ければどうなるか。別の言い方をすれば、「都会的な便利さ」を捨てるということだ。今さら、自ら田畑を耕し、或いは山林や河川を原資として生活を営むことなど幻想だと思うかもしれない。第一次産業従事者は年々減って「たった」の315万人(15歳以上就業者数の5.1%、2005年国勢調査)になっている。でも、1950年代半ばまでは就業者の半数以上は第一次産業従事者だった。60年程度でこうなったということは、逆に言えば、意志さえあれば、60年程度で 50% とはいわずとも20-30%ぐらいには回復できるのではないか。これは単に個人的な意志の問題ではなく、国家政策としてやるという前提だ。戦後、第二次・第三次産業が増えたのが国家政策と関係なかったとは到底言えない。
537.2 万円稼いで、438.7 万円借りる代わりに、200万円稼いで借金ゼロはどうか。金融業界からは敵視されるだろうから、国家政策にするには政治家はじめ関係省庁や団体による相当の腕力が必要だ。一方で、国の食料自給率も上がり、日夜PCにかじりついて身体を動かさない労働者が減り、コンビニ依存性夜行生活から脱し、健康になって医療費は減る。
これは夢なのか。こういうことを議論して、将来を考えるのが本当の政治ではないのか。
「経済成長」の言葉に騙されないように、備忘録として書いておく。
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人間の限界
http://ohsawa.exblog.jp/22261113/
2014-08-04T15:13:56+09:00
2014-08-04T15:13:57+09:00
2014-08-04T15:13:57+09:00
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かたや、いつもの年なら何匹も鳴いている蝉が今年はまったくいない。庭に植えてあった大きな桜の木が二年前に立ち枯れてしまったが、そのせいかも知れない。桜にはよく蝉がついていた。他にも樹はあるのだが、桜ほどの大きさではない。
ちゃんと観察すれば家の周りにはもっといろいろな事が起きているのだろう。全体の0.1% も見えていないのではないか。
翻って、地球上で起きていることでしっかりと理解できているものは 、% の計算すら意味もないほど少ないはずだ。それでは宇宙ではどうか。それこそ天文学的に何も知らない。
その何もわかっていないものを、わかっているかのような態度で対象化しようとする人間の限界を徹底的に理解することから始めなくてはならない。
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私的「夏の風物詩」
http://ohsawa.exblog.jp/22261042/
2014-08-04T14:46:00+09:00
2014-08-04T15:02:07+09:00
2014-08-04T14:46:31+09:00
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しばらく電源を切らず、つけっぱなしにしていたが、身体の冷え過ぎと電気代が心配になり、さすがに切ることにした。これで偶然の復活も途絶えるかと思われたが、再度スイッチを入れたところ難なく「冷房」が機能した。その翌日も、その翌日も、いつダメになるかと思いながら使っていた。
ところが、今日まで「復活」が続いている。大変ありがたい。何か奇妙な感じが残るが、たかがエアコンの故障だ。気にし過ぎてもいけない。
ただ、三部作も終わったし、「エアコンの故障」の顛末について個人的な包括的説明を試みるのもいい。一つ、「一喜一憂」というフレーズが浮かんだが、最初の時点でエアコン修理人の断言があったわけで、その際には完全に諦めており、その後の復活・改善を期待したわけではないから、この言葉は不適当だ。
故障したという「思い込み」や、もっとしつこく修理人を追及しておけばという「後悔」のような感じもあるが、これらは、一連の展開の中での一時点でのみ有効なフレーズであって全体をまとめて描き切れていない。
とここまで思って、自虐的に「夏の風物詩」というのに辿り着いた。エアコンは夏の季語(!)だと勝手に考える。ここ二週間ほどの、たわいもない個人的経験を風物詩としておけば、来年、或いはこの夏の間また同じようなことが起きた時に自動的に「正しい」モードにロックインできる。スマイル!
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エアコンの逆襲
http://ohsawa.exblog.jp/22252395/
2014-08-01T14:27:00+09:00
2014-08-04T14:49:16+09:00
2014-08-01T14:26:46+09:00
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未分類
故障したはずのエアコンが回復している。数日前までは、「冷房」にすると、「送風」と同様、ただの風が流れてきた。何もないよりいいので、エアコンをつけっぱなしにしていた。それが、昨日のある時点から「冷房」が機能しだした。修理の人が「基盤が壊れて」だめ、と言っていたのに、今や冷たい風が出てくる。
電源を落とすと「冷房」機能がまただめになるかと思い、怖くて切れない。つけっぱなしで少々寒くなるが、しょうがない。
そうか、これは電気代がかさむことへの対応力が試されているわけだ。そう思うことにする。エアコン故障のごときが、数日内で私的理論転換を迫る。
普通でない普段、実に愉快だ。
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隠れた動機
http://ohsawa.exblog.jp/22228437/
2014-07-24T10:50:00+09:00
2014-07-25T08:46:02+09:00
2014-07-24T10:51:09+09:00
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未分類
そこでエアコンとなるのだが、仕事部屋のものが故障してしまった。直そうと思って修理を頼んだが、故障個所の基盤部品がもう生産中止になっているという。電気を使う機械、特にコンピューター制御系のものはよく壊れる。部品の生産中止も何度か経験した。
どうするか。この高い湿度の中、仕事ができるか。これを機会にエアコンなしの実験をする。いや、エアコンを買う。いや、扇風機で我慢する。それとも、扇子で扇ぐか。今のところ、実験が行われている。まだ一週間程度だ。継続するか、断念するか。
夏の暑い時期に身体をやたらに冷やすのはよくない。それは以前からよく知っている。だからといって、「はやり」の熱中症はごめんだ。仕事に集中できないのは困る。そこで、こう考えた。幸い、ここ一年弱、早起きするようにしている。早い時は 4 時とか5 時に起きる。自然と仕事のスタートも早くなる。場合によっては7 時に始める。こうすると午前中には重要な案件にはあらかた目途がついている。暑さのピークは午後だから、朝の早いうちに仕事の大半を終えてしまえばよい。
早起きをすべきだということの隠れた動機が、来るべきエアコンの故障への備えだったとは今知った。
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むなしき蝉の声
http://ohsawa.exblog.jp/22209610/
2014-07-17T20:35:00+09:00
2014-07-17T20:37:21+09:00
2014-07-17T20:35:39+09:00
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未分類
蒸し暑い中、都会の初蝉はどこか頼りなかった。聞いた場所がいけなかったのか。一匹だけのあがきのように聞こえたからか。それとも、ビルに囲まれた小さな緑地帯の樹上で鳴いていたからか。
これから盛夏を迎えるというのに、何とも淋しい鳴き始めだ。
都会が駆逐した自然の象徴がかろうじてその生を主張している。耳を傾ける以前に、人間サイドの余裕のなさが巷に露骨に溢れ出ている。
もうどうしようもないのか。遅きに失するとはこれをいうのか。
挽回の余地などと悠長なことは言えないのだろう。
むなしき蝉の声。
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ビワの実
http://ohsawa.exblog.jp/22199708/
2014-07-14T11:44:00+09:00
2014-07-14T14:37:19+09:00
2014-07-14T11:44:45+09:00
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未分類
この木もバラ科だ。それぞれの果実の見た目は随分と違うが、桜も桃も梨もバラ科だ。梅、アンズ、リンゴ、イチゴ、アーモンド、みなそうだ。でも、アンズ以外は旬の時期が異なる。梅が少し近いが、ビワの方が後だ。
子供の頃、庭に生えていて、とって食べたりした。最初の頃は喜んでいたような気がするが、実が細めで果肉があまりないので、そのうちとらなくなってしまった。お店に並ぶような栽培品種のビワはそれなりの大きさがあるが、それでも他の果物に比べると果肉が少ない。種が大きいだけでなく、食べられない繊維質の部分もある。そういうことで現代人には受けがよくないらしい。農林水産省統計によると、出荷量が2004年の5,080トンから2013年(概算)の4,110 トンに減っている。
だいたいにおいて、栽培品種というのは果肉部分を多くする方向で、かつ甘味を強くする方向で「改良」されてきた。当然ビワでもいろいろ品種改良が行われたことだろう。それにもかかわらず果肉が多いものが出てこないのは、同じバラ科でも、他の果物に比べて果肉を増やしにくいDNA が備わっているために違いない。素性はそう簡単には変わらないのだ。
それだったら開き直って「ほのかな甘み」や「大きな種」を売りにしてはどうか。どう考えても甘過ぎるメロンやトウモロコシが嫌いな身には「ほのかな甘み」は魅力的だ。甘さに敏感な日本人は多いから、これをマーケティングすることは大いに考えられる。一方、「大きな種」の方はやっかいだ。一つだけ考えた。種そのもののメリットをマーケティングしてはどうか。ビワの種は酒(リキュール類)に漬けると、杏仁のような香りが出ておいしいらしい。さすが、バラ科、アンズの親戚だ。種の値段はビワに含まれるから、お酒が好きな人には一石二鳥になる。飲まない人には薬効(民間療法の枠は出ないが)を説くか。
このまま毎年生産量が落ちて価格が上がり、高嶺の花になってしまう前に何とかしたい。
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1,500年後の自然
http://ohsawa.exblog.jp/22183916/
2014-07-08T22:19:00+09:00
2014-07-11T11:53:59+09:00
2014-07-08T22:19:18+09:00
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未分類
古墳の多くは木で覆われていたりしていて、小山の様相を呈しているものが多い。表示がなければ古墳だとはわからなかったりする。東京などの大都市では数少ない緑地として貴重な存在だ。
ところが、あたり前だが、古墳は人工構築物だ。一部、山や丘を利用した場合もあるが、基本的に人間が造成し、版築を施し、幾何学的な立体物として世に知らしめるために作られた。古墳によってはその全面を葺石や埴輪などで覆い、数段にわたる段差などを付けた。見るからに極めて人工的だ。古墳が完成した当時の人々にとっては、現代人の比喩で言えば、宇宙船やピラミッドが目の前に現れたのに等しかったのではないか。
それから、1,500年ほどの歳月が経ち、一部宮内庁管理下にあるものや国・県指定史跡古墳など保全作業が施されたものを除き、人工物であることが外観からはまったくと言っていいほど察することができなくなっている。むしろ、現代人にとって見た目は「自然」だ。
これは面白い。当初徹底的に「人工物」として存在したものが、今や「自然」の風情を湛えている。
東京新宿の高層ビル街も1,500年経てば未来の人々に「自然」として見えるぐらい変貌を遂げているのだろうか。それともやはり、世俗的なビルなどではなく、どこか神聖な場所こそが、長い年月に耐えて「自然」に戻りつつも存続していくのだろうか。
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蓮の花
http://ohsawa.exblog.jp/22175802/
2014-07-06T09:55:00+09:00
2014-07-08T22:00:14+09:00
2014-07-06T09:55:27+09:00
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未分類
白色でも桃色がかったものでも、色は問わない。水面からまっすぐに伸びた茎の先に一輪だけ、それも少し大きめの花が天を向いて咲く。緑色の葉が水面に大きく広がり、小さな水滴を宿す。そこはかとない香りがあたりに漂う。
早朝に開くのがまたいい。まわりが静かで、まだ暑くなっていない時、一層輝きを増す。仏教美術に採用されたのもむべなるかな。雑念渦巻く普段の生活に一瞬の「無」を与える。
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