As Usual
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銀行によっては、休日に預金から現金を引き出すと手数料をとられる。自分の金を自分で引き出すのに第三者に金を払わなければならない。
貨幣が発明されてから、人間の生活は複雑になった。取引対象物が目の前になくても取引ができるようになったほか、物品以外のサービス(労働)や保険のような商品、或いは銀行などによるお金の貸し出しなど多くのビジネスが開発された。人間の生命維持に直結していた活動(食料や衣服などを自ら調達、製作、或いは物々交換によって手に入れる)の世界は終わり、大部分の人は生活の糧を得るために、自分の生命維持には直接関係のない仕事をしてお金を稼ぎ、そのお金で生命維持に必要なものを買うという構造が生まれた。自分の生命維持が間接的になったわけだ。 本来は自分の命は自分で守るしかないのだが、お金のシステムがあるせいで、仕事をし、その見返りとして得たお金を使って自分の命を守る形に変えられてしまっている。3000年近くの年数を経て(貨幣は紀元前7世紀にリディアにおいて生まれたとされる)そうなってきたので、これは容易には変わらない。言ってみれば、貨幣システムの確立と各種ビジネスの発展は人間自らによる直接的な生命維持の放棄の過程だ。人間が弱くなるのも当然といえる。 自分の命を自分で守るためには絶えず注意して自己研鑽をする必要があるが、仕事を媒介にしだすと、自分の外から「守る手段としてのお金」が届けられてくるので、自己の研ぎ澄まし方がどうしても鈍くなる。自然界や外部の人との直接的な対峙、交渉の場面が二次的、三次的になってしまう。魚が獲れなければ、その日は飢えるから、漁獲方法を工夫したり、地形・天候を読む力をつけたりするのが本来の姿だが、毎月給与が入っていたり、或いはお金がなくても金融機関から借りることができれば、魚を買って食べるのはた易い。 ところが、仕事の腕を磨き、収入が増えたとしても、大地震が起きて、流通が麻痺し、魚が手に入らなければいくらお金があっても生命の維持はできない。もちろん、現代社会はそういうことが起きないようあらゆる手はずを整えているという一般的な思いはある。だが、最近のアメリカでのハリケーン被災を見てもわかるように、絶対安全ということはない(金持ちがジェット機で真っ先に避難したと言われているが、金で危険を回避できるということを、金は万能を意味すると理解するのは近視眼的だ。自分だけの生命維持を優先するのは、アメリカも含めどの社会でも支持されていない)。 新たなビジネスが毎日のように生まれている。新しい金融商品も次から次へと開発されている。貨幣システムとビジネス開発はとどまるところを知らない。人間自らによる直接的な生命維持の放棄の過程はたえず深化している。いったい、行く先はどこなのだろうか。
by bgst
| 2005-09-12 12:25
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