As Usual
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新聞で興味深い広告を見た。武蔵野楽器という雅楽楽器、能楽器や和楽器を製造している会社の人が書いている。
それによると、笙、篳篥、龍笛という雅楽の三大楽器は竹で作られるが、ただの竹ではなく、煤竹という特殊な材料で作られている。煤竹は、萱葺きの家で100年もの間、囲炉裏から立ちのぼる煤でいぶされて自然にできあがるものだ。萱葺きの家が少なくなってしまっているため、楽器の材料としての煤竹は希少なものとなっている。 そういう竹だとはまったく知らなかった。いってみれば、100年もの製作期間が必要ということだ。天から降ってくるようなあの笙の音にはそういう生い立ちがあったのだ。笙の音は普通でないとずっと思っていたが、その謎が解けたような気がする。中国にも笙はあるのだが、演奏で見られるのは、もっぱら金属製の現代風な笙で、音色もストレートで強い。それに比べて日本の笙は音が小さく、トーンもあまり長く続かず、とてもはかない感じだが、天空にかすかに広がる薄雲のような独特の神々しさが漂う。仮にシンセサイザーで真似たとしても、あの浮遊感は出ないだろう。100年の煤が竹の隅々まで浸透して成せる業というのは、まだ現代科学では達することのできない領域なのだ。 今でもよく覚えている。ウィーンのMusikverein(楽友協会)ホールで日本の雅楽公演が行われた。多分、1970年頃だ。ステージに雅楽用の特設舞台が作られ、正装をした大勢の演奏者が舞台に上がり、座る。前方中央に太鼓と鉦鼓が置かれた演奏者と楽器の配置は極めてユニークで、まず視覚的に訴えるものがあった。そして、ひとたび演奏が始まれば、他の何ものにも似ていない音世界が展開された。リズムは西洋的な規則正しさからは遠く、むしろ人が呼吸するが如くの、無意識の意識のような拍を持つ。一方、旋律は楽器それぞれが際立つのではなく、全体として一つの楽器が鳴るかのように、悠然と流れていく。フレーズ的には繰り返し部分が多いように感じられても、呼吸感があるためか、しつこさはない。始まりも終わりも、自然に雲が沸き立ち消えるが如くであって、曲の構築とか枠というものを意識させない。特に、笙は楽器とは思えない音色を出していて、最初はどの楽器から音が出ているのかわからないほどだった。雅楽は強烈な体験となって、その後の自分の音楽観の一部を形作った。 煤で100年いぶされた竹が楽器になっている。ここにも日本のすばらしい伝統がある。決して絶やしてはならない。
by bgst
| 2005-08-28 10:23
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