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7/3 付けで 「ひとりよがりの脳 selfish brain」 と題したBlog 記事を書いた。人間には自己淘汰機能が自然によって付与されているが、それは脳を発達させることによって可能となった、という趣旨だった。これについて、昨日考えることがあった。
60億を超える数の人間が地球上に住んでいて、生態系を含む地球環境全体に悪影響を及ぼしている。人間を捕食する他の生物はいないので、何らかの理由によって自然に人口が減らない限り、問題はさらに深刻化する。今のところ、自然現象として減っているという兆候は少なく、減っているとすれば、大部分は「人工的」或いは「人間の考え」がトリガーになって減っている。例えば、国家政策としての中国における一人っ子政策、社会・経済的要因によって子供が産まれない(産みたくなるなる)最近の日本における少子化、南北問題或いは開発途上国における政治経済状況などによる餓死、頻発する地域紛争における戦死、あるいは世界各地のテロ犠牲者などがある。これらは、どれも一般的には自然現象としてではなく、人の「思考と行動の結果」として発生していると理解されている。つまり、人口減のかなりの部分は政治・経済・文化という人間生活が原因となっている。人間の脳が命じた結果として人口が減っているのだ。 発想の転換を試みる。 1) 普通の西洋的考えでは、自然は人間と対峙するとみられる。伝統的な東洋の思想では人間は自然の一部と考える。以下の考えでは、「自然の一部である人間は、短期的には自然を破滅に追いやっている元凶(自然は人間と対峙)のように見えるが、長期スパンでは自然のコントロール化(人間は自然の一部)にあり、現在はそのコントロールがかなり効きだした時期に入ってきた」と考える。 2) 一般に、餓死、戦死、テロ死などは人間の過ちで、それをなくすことが人間の使命と考えられている。子供数抑制政策、少子化については、その是非について議論はあるが、人間の大きな過ちとは見られていない。 3) 上記 2) の事柄をすべて「自然の摂理に基づいた、自然による長期的な人間淘汰のプロセス上に現れてきている現象」ととらえる。つまり、人間の過ちである戦争も、社会・経済・文化の所産である少子化も、自然が人間の数を抑制するために人間の脳に仕込んだ自己淘汰機能が有効に作用していることに起因していると考える。 4) 自然は人間の脳を大きく、高度にし、言語能力を与えることにより、本能を抑えたり、本能とは異なる思考や行動をとる自由を人間に与えることに成功している。特に、言語は人間同士のコミュニケーションを促すという一般に言われる肯定的側面とは別に、思考を優先し、本能を遮断する手段を人間に与えたことにより、核兵器を開発し、それを政治交渉に利用する自由、間違えばそれを使って人類を滅亡に追いやる自由を与えた。すなわち、自然は人間の脳に高度な言語能力を備わらせることにより、捕食される恐れのない人間に自己淘汰機能をプリセットしたのだ。 5) 第二次大戦が終わり、平和な世の中が訪れると思われた。ところが、それから60年が経過し、戦死者数では及ばないものの、各紛争地域での戦死者、テロでの犠牲者は日増しに増えている。今では、世界のどこでテロが起きても驚かない状況だ。平和を望むものの一人として、こういう状況は一日でも早くなくすべきだと思う。だが、もしかして、このような状況を「自然が望んでいる」としたらどうであろうか。60億の人間を抱えた地球がこれ以上の人間に耐えられるのだろうか。自然は息切れしていないだろうか。人口増加の勢いに反比例するが如くに地域紛争が勃発し、テロが普通になり、餓死者が増え、一方では子供は作りたくないという人が増えている。自然の合理として、人口抑制のため、人間の脳が人間にとってより否定的な思考と行動をとるようになってきた、と考えると説明がつかないだろうか。 6) 戦争や飢饉やテロを正当化することはできない。少なくとも、人間社会内においては。我々は断固として平和な世の中を目指さねばならない。しかし、自然は決してあなどれない。所詮、人間も自然の産物だ。自然に生かされている。その自然が百万年以上もかけて、人間の脳を発達させ、人間だけに言語能力を習得させたのはなぜだろうか。ただ何とはなく脳が発達していったのだろうか。言語能力に導かれる暗黙の自己淘汰機能は自然と(究極的には)人間の両方を救う最終手段なのかもしれない。 自然はすべて連関していて意味を持っている。
by bgst
| 2005-08-18 16:11
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