As Usual
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最近はピアノを弾くことから遠ざかっている。仕事、その他で時間をとられたことも影響しているが、それ以上にピアノを弾くという「ノリ」がやって来ないのだ。大袈裟に言えば天の声がない。
いつ天の声が響くのであろうか。 衣食足りて礼節を知る、と言うとおり、まずは食べて、寝て、服を着てという段階がある。諺には書いてないが、この段階は、パトロンがいて金の面倒をみてくれていないかぎり、仕事をして稼いでいなければ、達成できない。これを経てはじめてまともな人間として、礼節を知るわけだ。 音楽はようやく礼の段階で登場するということになっている。実感からして、たとえ切羽詰った生活状況であっても、いい音楽を作ろうという心のゆとりがないと、まともな音楽は作れない。贅沢に聞こえるだろうが、「仕事」として、或いは「時間があるから」だけで機械的に音作りをすると心に響かない音楽ができてしまう。いい音楽を作ろうとしている人にとっては、音楽が降ってくるときを待って曲を作り、結果としてそれが仕事になっているという状態が最もいい。 一方、現実には、契約で年に1回アルバムを制作するとか、何回公演をするとかの音楽産業の構造がある。勝手気ままに音作りというわにはいかないのだ。上に書いたことと矛盾して聞こえるかもしれないが、これは致し方ない。音楽を作る方も仕事があって衣食足りないと、礼の段階に入れず、音作りができない。よって、ジレンマがあるものの、受け入れる。こうして、理想と現実の間で揺さぶられ続ける。 それでは結局、衣食が足りれば事足りるのかと言えばそうではない。むしろ、音楽にあっては衣食が足り過ぎてしまうと、足りないとき以上に作品に悪影響がある。例外はあるが、お金を儲け過ぎた後のアーティストの作品は内容が劣化しているものが多い。過ぎたるは及ばざるが如し。難しい。 ピアノを弾けという天の声がないのは、衣食が足りていないから、と言うつもりはない。現代日本社会は昔の中国社会と違って、「衣食」と「礼節」の間にいくつものハードルが設定されていると言っておこう。今はそれを一つ一つクリアーしようとしている。 *もともとの中国の諺では、文の最初の部分が「蔵が一杯になると人々は礼儀や道徳に関心を持つ」という意味だったようだ。礼節は音楽と直接関係するわけではないが、衣食足りないと音楽の段階に達しない、との意味を込めて引用した。
by bgst
| 2005-07-30 12:22
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