As Usual
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雑誌を売るために宣伝広告が打たれる。雑誌の種類は多く、競争は激しい。どうにかして部数を稼がなければならない。
電車の中吊りは普通、たった一枚の紙切れだ。工夫しようにも限界がある。競争はおのずと雑誌の中身についての売り文句に凝縮される。ここを見ると、文化や世相が見えてくる。 よく使われる象徴的な言葉を拾ってみよう。 *正体 世の中よほど隠し事が多いか、巧妙にPRされているらしく、正体がなかなか見えないらしい。大衆は正体を暴いてくれる雑誌に期待する。新聞・テレビは同じマスコミ・ビジネスでありながら、雑誌ほど露骨に暴かないせいか、期待は雑誌に集中する。雑誌側もよく心得ていて、正体を見つけようとアレコレ手を尽くして期待に応えようとする。ただ、雑誌によって正体が暴かれても、それを支持する第三者が少ないような気がする。 *新・・・ 新しもの好きの国民が多い国なので、雑誌に限ったことではないが、いつも何か新しいものを探している。古い・・・という形の売り文句はとても少ない。だいたい新しいと良いというのが同義語になっている。だから、新発売は必ず魅力的ということだ。ここ15年ほどはフリー・マーケット、古着店、アンティークなど、古いものもいいという考えが一般にも広がってきて、日本も変わってきたが、中吊り系の雑誌にはまだ浸透してきていないようだ。「築150年の古民家を先着応募者20名様に優先入札」というのがいつ出てくるか興味がある。 *愛・・・ (例:愛娘、愛妻、愛息。愛夫だけない) なぜか雑誌でとりあげられる人々は家族愛が強い。特に、悲劇を被った人には愛・・・がどこかにいる。いいことが起きた人はたとえそういう愛・・・がいても雑誌には登場しない。つまり愛・・・は悲しいこととペアになっている。どこかに悲しいところがないと愛が本物に見えてこないというのは、悲劇だ。ただ、雑誌を売るためにはドラマが必要なので、ギリシャ時代から培われている人間劇の基本構造を使用することになる。 *直前 雑誌は週刊のものが多いせいもあって、タイムリーな情報提供には適している。それを最大限に生かしたフレーズがこれだ。もっとも、テレビや新聞は時間軸だけ考えればもっとタイムリーだし、インターネットはさらにすごい。他の媒体にひけをとっているのに、それでも直前を謳えることができるのは、なぜだろうか。他の媒体が扱わない分野とかに知らないうちに特化しているのだろうか。そのうち、直前は売り物にならなくなってくるような気がするのだが。そういえば、大学受験とか入学、卒業とかはなぜか雑誌の得意分野になっている。 *損得 新聞・テレビ(テレショッピング番組を除く)ではあまり強調されていないと思う。なぜかわからない。新聞・テレビが報道という公正さを要請される業務にもかかわっているからだろうか。ということは雑誌は公正でなくてもよいということか。 *完全 この言葉は別に雑誌だけの特技ではない。普段我々もしょっちゅう使っている。よって、使い慣れて、それが完全でないことは熟知しているはずだが、雑誌広告のヘッドラインでは有効になっている。人間は完全という言葉に本当に弱い。自分が不完全であることを骨身にしみて理解しているから、逆に弱いのかもしれない。 *最終 最後というのは、完全に似ている。映画でも最後に「完」と出たりする。完全は、これ以外のものは不完全と暗に言っていて、だからここでしか手に入らないというメッセージを出している。最終の方は、終わってしまうのでチャンスがなくなる、そのチャンスを手にしたいという人間の欲望を捉えた言葉だ。両方とも希少であることを売り物にしている。完全版はこれで最後です、とか言われると買うことになる。コンサートも最終公演はいい売り物だが、けっこう再結成・復活コンサートがあり、アーティストの本音が聞きたくなる。 *本音 正体に似ている。世の中は見せかけや建前ばかりで、本当のことが聞けない、よって雑誌で本音を教えようということだ。どうして雑誌が人や組織の本音を聞き出せるのか、相当の人脈を備えているのかわからないが、インタビュー記事や独白、独占寄稿などみると、雑誌が他の媒体より個人に近いところにいることは確かだ。ただ、本音を吐くのは芸能人、スポーツ選手、政治家、事件当事者など名の知られた人となっている。一般市民の本音も聞きたい気がするが、そういう特集はない。一般市民は他の一般市民の本音には興味がないことになっている。 *美人・・・ 女性だけに、職業を表す名詞の前にこの種の職業と関係のない形容詞がつく。ハンサム・ピアニストとかハンサム記者とか「ハンサム理髪師殺害事件」ということにはならない。被疑者、被害者などに対して使われる場合は、美人であることによってそういう目に遭ったというようなほのめかしがある。元来は褒め言葉だが、職業名を形容すると女性差別だと思う。この形容詞が雑誌をはじめ、各種媒体から消えたとき、少し文化が変わる。過去の雑誌を80年ぐらい遡って年度ごとに何回美人・・・が登場しているか数え、かつ今後どう変わるか単語のトラッキングをしていけば、将来大学の卒論ぐらいは書けるネタが集まるだろう。海外雑誌で同様のことをして比較し、かつ、男性用の形容詞にはどのようなのがあって、雑誌でどう使われているかを含め、文化的・社会的観点から論考すれば修士論文でもいいかもしれない。
by bgst
| 2005-07-29 10:59
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