As Usual
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本当に必要かどうかを考える。置かれた状況によっても異なる。
東京に住んでいて、仕事上相当の理由がなければ、車は必需品ではない。公共交通網が発達している。深夜早朝や重い荷物などにはタクシーがある。一方、地方とか海外に住んでいて、車がないと買物、病院、仕事、その他大部分の用が足せないという場合もある。 テレビは一般家庭の必需品のようになっているが、絶対に必要というものではない。身の危険に関わるニュース、例えば戦争、地震、火災、犯罪、噴火などで即時性が求められるものであっても、ラジオやインターネットで代替できるし、切迫すれば口コミがより重要になったりする。但し、1980年代後半、旧共産圏の崩壊を招来したのは、テレビを通じて西側から自由に入ってきた情報だった、という観察もある。そう考えると、テレビは個人のためだけではなく、国家の存亡を操る一つの道具にまでなり得る。 エアコンは、今から50年前はほとんどの家庭になかった。電気冷蔵庫や洗濯機は100年ぐらい前には存在していなかった。電子レンジの普及などは 1970 年代後半、つまり、ようやく30 数年前からだ。今や日本では、どれが欠けても困ると思う一般家庭が多いだろう。でも、世界には、このどれもがないという場所がたくさんある。日本の定義に従えば「不便」だろうが、そこではそういうものがない前提で生活するのが当たり前なのだ。一度、便利を知ってしまうと、ないことが「不便」になる。最初から知らなければ、それだけのことだ。 各種サービスについても、本当に必要かどうかと問われると、ちゃんとした回答ができないものが多い。国が提供する年金や健康・失業保険といったサービスも、国民に「安心」を提供するものとして、必要と思われている。でも、例えば公務員(恩給制度が明治よりあった)以外の人たちに制度上年金が提供されるようになったのは、1942年の労働者年金保険からだ。健康保険制度の施行も1927年(昭和2年)だった。つまり、一般の国民にとっては、年金や健康に関する制度は 80年の歴史しかない。それ以前は、国が「安心」を提供するということにはなっていなかったのだ。もっとも、ここ5年ほどは、年金保険制度の将来が危ぶまれ、逆に国民に「不安」を提供しているが。 もちろん、本当に必要でないからといって、昔の生活に戻ろうというわけではない。それは非現実的だ。ただ、人間の性向として「便利」や「安心」というのは正当化されやすい概念なので、それをベースにモノやサービスを開発していけば、とどまるところを知らない、ということだけは覚えておかねばならない。 「不便」や「不安」は必ずしも悪くはない。相対化されて「不便」や「不安」が語られる場合には、「便利」や「安心」とされたものの方に気をつけた方がいいだろう。 「便利」や「安心」は絶対ではない。
by bgst
| 2006-04-19 11:32
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