As Usual
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イタリア語で大聖堂のことを Duomo という。ミラノ、フィレンツェ、シエナなどたくさんある。中心市街地にあって核をなしている。キリスト教会だから当然ミサが行われ、大勢の信者(市民)が訪れるが、同時に観光客が最もよく現れる場所でもある。市民には神聖ではあるが慣れた場所だが、観光客には普通の場所ではない。しばしば建物の大きさや外観、内装の荘厳さに圧倒される。
大聖堂の中に興味深いものが一つある。墓だ。過去の聖職者が建物の中に埋葬されている。観光客は聖堂内の墓の上を歩きながら、あるいは順路すぐ脇の墓を目の前に見てまわることになる。Duomo の場合、大司教や過去の有力な聖職者が関係することが多いので立派な墓が目立つ。たくさんの装飾を施し、姿形や衣装などを石刻で再現したものもある。 日本の寺や神社の中に僧や神主が埋葬されている例はあるのだろうか。あまり聞いたことがない。どうして建物内に埋葬しないのだろうか。たしかに、普通の日本人の感覚では墓は屋外にあるものだ。寺や家の中には位牌がある(最近はそれすら置かない家庭も多い)。火葬とか不浄の概念に関係があるのだろうか。カトリックでは土葬が一般的だ。 日本でも、墓はお寺の敷地内にあることが多いので、祈りの場所の近くに葬られたいという考え方はカトリックと同じだ。大聖堂の中に墓があるというのは、祈りの中心地にあるわけで、魂が限りなく救われるということになるのだろう。日本の寺と神社の建物内に墓がないのは、祈る中心地になくても限りなく救われるという考え方が一般的であったか、中心地だからこそ墓を作ってはいけないという何らかの理由があるか、或いはその両方の理由によるものだろうか。 僧や神主に聞けばあっという間に答えが見つかるのかもしれないが、もう少し考えてみる。 仏教では火葬をしてお祈りが済むと、成仏して魂は肉体に宿らない。或いは、成仏せず、さ迷う。つまり、墓の中にある遺骨は文字通り残った骨であり、そこには魂はない。カトリックではお祈りはするが、火葬をせず、成仏の概念はない。肉体と魂は分かち難く、死によって魂が分離されるとは考えない。つまり、変な言い方だが、土葬された肉体は次の出番を待っているのだ。昔、マイケル・ジャクソンのプロモ・ヴィデオで墓場からゾンビーが出てくる場面があったが、あれは単に面白おかしいことではないわけだ。 よって、Duomo の墓で大司教や聖職者は次の出番を虎視眈々と狙い、大勢のお祈りの助けによって本番を待っている。ちょっと戯画的過ぎるだろうか。英語で 死んだ人に対して rest in peace (「安らかに眠れ」だが、直訳だと「安らかに休め」) という言い方があるが、それは安らかに休めず、外に出てきたら困るからだろうか。
by bgst
| 2005-07-20 11:39
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