As Usual
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再度の登場だ。16世紀にイエズス会宣教師のルイス・フロイスが書いた「日本史」は面白い。今度は秀吉関連について書かれたものだ(完訳フロイス「日本史」4、豊臣秀吉編 I、松田毅一、川崎桃太訳、中公文庫 2012年第三刷)。
「羽柴(秀吉)は大坂城に夥しい数の婦女子をかかえていた。彼女たちのうち約五十名は(織田)信長とその息子なる貴公子たちがかつて有していた人たちで、いずれも武将や貴人たちの娘であり、大いに寵愛され尊敬されてもいたが、---」 「宮殿にいるそれら貴婦人や女官の中には、五、六名のキリシタンが混じっており、そうした既婚婦人の一人にマグダレナと称するかなり年配の人がいた。彼女は羽柴夫人の侍女を務め、彼女(北政所)とはきわめて親密な間柄にあった。」 「(織田)信長は彼女らに男の名を付けていたのだが、羽柴(秀吉)はマグダレナの勧告により、三河の戦いに出陣するに先立って、マグダレナが教えたキリシタンの聖女の名をとって彼女たちにキリシタンの名前を付けることにした。そのために彼女らは異教徒でありながら、宮殿においてはこうした名で通用していたのである。」 *注にキリシタンの名前とは「からら(Clara)、るしや(Lusia)、もにか(Monica)、じゅりや(Julia)、まりや(Maria)、かてれいな(Catarina)、うるすら(Vrsula)、まるた(Martha)、はうら(Paula)、るいざ(Luisa)、あんな(Ana)等」であったと書かれている。 洗礼を受けていないのに、キリシタンの聖女名で大坂城内でお互い呼び合っていたということだ。戦国時代、キリスト教は秀吉によって禁教にされるまでの間、武士を中心に早いスピードで信者を増やした時期があったというが、ここまで文化的に浸透していたとは思わなかった。合戦を目前として、婦女子の名前が外部に漏れるのを防ぎ、敵方から隠すという意図もあるのかも知れないが、ここにも日本特有の「はやりのものにあやかる」心情の表われが出ているともいえる。 日本では reality over principle = 現実の方が原則よりも優先するのはよく見られることだ。特に「ブーム」になると原則が引っ込む。 ここで日本の憲法のことを思い出した。
by bgst
| 2014-06-05 11:21
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