As Usual
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ようやく答えらしきものが見つかった。長年、考えていたがわからなかったのだが、昨日の夜ひらめいた。
昔から「うさぎ」が気になる。好きというのではなく、気になるのだ。動物としての兎というよりは、うさぎという概念やイメージが、いつでもどこでも、こちら側に迫ってくる。なぜ「うさぎ」なのかずっと考えていた(6/13付け記事「うさぎ」)。 うさぎは人間が思う「不条理」」のシンボルに見えるから気になるのだ。 *稲羽(因幡)の兎はワニ(鮫)を隠岐島から気多の岬まで並ばせて、その上を渡るが、渡りきろうとするところで、愚かにも騙していたことを吐いてしまう。それでワニに襲われ、毛皮を剥ぎ取られる。通りかかった八十神が兎に嘘の治療方法を教えて兎はさらに苦しむが、次に通りかかった大穴牟遅神(大国主神の若い頃の名、八十神の弟神)が正しい治療法を教え、兎はもとの白い兎に戻ることができた。そこで兎はお礼として八上比売(八神姫)との縁をとりもち、大穴牟遅神は八上比売を娶った。(出典:古事記) これは、一見、人を騙すなという教訓めいた話のようだが、兎を中心にみてみると、兎は自ら仕組んだ騙しをワニにしゃべってしまう、救われると思った八十神に騙される、という点において人間世界で起こりうる不条理感を代弁している。 *イソップ物語「うさぎとかめ」では兎が亀の歩みをみくびって寝てしまい、結局遅れをとるという筋になっている。 これも教訓めいた話しだが、実際、本物の兎と亀では兎の方が速く、物語のようにはならない。兎に人間界での愚か者を代表させているわけだが、実際は速い兎にその役目を負わせたところに不条理感が漂う。 *Lewis Carroll (ルイス・キャロル)の著作Alice's Adventures in Wonderland(不思議の国のアリス)では、アリスが野原のうさぎを追って穴に落ちるところから話が始まり、登場人物のWhite Rabbit (白うさぎ)が「忙しい、忙しい」と言ってほうぼう駆け回る姿が描かれている。 ここでは、不条理の世界へ導入するのも兎であるならば、導入したあと、アリスに追いかけさせるのも兎の姿をしたキャラクターだ。不思議の国はマッド・ハッター(きちがい帽子屋)とのお茶会やセイウチに食べられてしまうオイスターなど、ストーリー全体が不条理で一杯だ。一説によれば、この寓話は当時のイギリスの世相を作者が暗に批判したものだという。社会の不条理を不条理な話を創作して密かに訴えようとしたのかもしれない。ちなみに、Aliceとはギリシャ語の Aliki にあたり、これは「真理」の意味を表すとされているから、真理を不条理へ誘ったのが兎ということになる。 *日本では秋、特にお月見の頃、月はすすきと兎とセットになって扱われることが多い。また、月で兎が餅を搗くというのが日本でのストーリーとなっている。月と兎の連想は古代中国思想からの影響だと言われている(9/20記事「薬と餅」)。 なぜ夜空に浮かぶ月に地上にいる兎が関係しているのだろうか。なぜ他の動物ではないのだろうか。西洋では月は狂気(英語でlunacyというが、これは月を語源とする言葉)との関連で語られることが多いが、それは月が夜という人間にとって恐ろしい環境に顕現するからだ。何かわからないもの、不安の心理を伴うものだ。兎も一見かわいいが、犬や猫と違い、人間に心理を読み取られない無表情をしている。これは、同じ哺乳類であっても兎はウサギ目(重歯目)でネズミと近縁なためだ。兎は何を考えているのか人間にはわからないというところが不安で、月と連想される要因なのではないか。日本では一般に月と兎とすすきで風情があるとのメッセージが発せられるが、すすきにお化けの要素が認められることから考えても、もともとは三種の不安要素を敢えて掛け合わせることにより、不安の浄化をはかっているとも思えるのだ。 *野生の動物を家畜化する過程では、最初、多分あらゆる動物が対象になったはずだ。その中から家畜化に適した動物が選ばれてきた。犬はその代表だが、馬、牛、驢馬、豚(猪)、鶏、羊、山羊など世界各地で家畜化された。そういう中で、兎も当然家畜化されたが、なぜかあまり広がっていない。一部の地域では今でも兎は時折食料になるが、日本ではフランス・ジビエ料理とか猟師料理としてぐらいしか登場しない。食料用の兎牧場はあるのかもしれないが一般的ではない。また、食料としないでペットとして飼うことも可能だが、飼っている人は犬猫に比べればはるかに少ない(2003年で2%台で、爬虫類をペットにしている人口と同等)。 ここでも、ウサギ目というネズミとの近縁性が関係している。食料としてもペットとしても立場は弱い。もちろん荷役には使えない。犬のように狩りにも使えない。人間にとって必ずしも身近とは言えない。そこに不条理のイメージが入り込む隙間がある。(ある心理学者は幼少の時、家で飼っていた兎をかわいがっていたが、ある日父親に言われてその兎をさばきに街へ持っていかなくてはならず、それがトラウマになったと告白している。これも、ペットが食料になりうるという不条理感を漂わせている。) *オランダの絵本作家 Dick Bruna (ディック・ブルーナ)の代表的なキャラクターに Miffy(ミッフィー)がある。Miffyはうさぎだ。可愛く描かれてはいるが、無表情といっていい。そしてMiffyには口らしきものがない。喋れないのだ。他の熊・豚・犬のキャラクターには口があるが、Miffy だけない。 コミュニケーションを封鎖されているMiffy はかわいいというのが売り物だけになおさら不条理だ。 *NOVAうさぎという語学学校のキャラクターがある。うさぎという名前がついているが、実体は得体の知れない生き物だ。体がピンクで耳は長いが、嘴らしきものを持っている。鳥のような口というわけだ。 口のようなものは与えられているのだが、それが兎本来の口ではない。これはMiffy の逆で、喋れるのだが、普通のコミュニケーションではなさそうだ。ホームページには「外国語をいっぱい聞けるうさぎの耳といっぱいしゃべれる鳥のクチバシを持つ」と書かれている。ここにも不条理を感じる。 *マジシャンと兎は親密な関係にある。逆さにした山高帽から、棒の一振りで兎を取り出すのはマジックの典型だ。 できないと思うことをやってしまうマジックは不条理を見世物にしている。そのマジックのシンボルが兎ということは、兎は不条理を代表しているということだ。 1990年代初めに、フランスのシャルル・ド・ゴール空港に隣接するホテルに泊まったとき、朝、部屋の窓から見えたのは、滑走路のすぐそば至るところに野生の兎が草を食んでいる姿だった。ドイツ・ベルリン中心部にあった東西を分ける非武装地帯が、1980年代終わりの東ドイツの崩壊とともに消え去り、そのすぐ隣りに巨大な不動産開発事業が始まったとき、そこはあたり一面兎の糞で一杯だった。人工的空間と隣り合う形で兎が生息しているというその事実は、うさぎのイメージが示唆する不条理感を更に拡大するのに十分だったが、当時は不条理という言葉が浮かばなかった。 それから15年以上たった今、解らしきものが現れたのには、何か理由があるに違いない。
by bgst
| 2005-12-13 12:17
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