As Usual
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昨日の夕方、蝉の声を聞いた。今年初めてだ。梅雨があけていないせいか、鳴き声が弱々しい。暑さが増すと蝉は元気になってくる。あともう少しだろう。
強烈な蝉の声を思い出す。 20年近く前、南フランスを旅行していたときだ。強い陽射しの中、古代ギリシャ遺跡がある小さな丘を訪れた。乾いた丘の上に枝を四方に伸ばした低木が何本か生えていた。そこから蝉の声が聞こえる。近くに寄って木の下からよく見ると、透明な羽を生やした小さな蝉がびっしりととまっていた。鳴り止まない声を背に、丘の上から水平線を望むと、そこにはかすかに地中海が見えるのだった。 30年ほど前、伊豆で夏を過ごした。三面を小さな林で囲まれた家だった。日が昇り、昼近くになると蝉しぐれは勢いを増し、他の音すべてをかき消すほどの激しさとなった。蝉の世界に取り込まれたかのような不思議な感覚は新鮮な驚きだった。今では二面が宅地となり、蝉の声に包まれることはない。 40年前の夏休み、蝉を追いかける普通の少年だった。夏の初めはニイニイゼミ、暑さが激しくなるにつれアブラゼミと数は少ないがミンミンゼミ、夏も終わりに近づいてくるとツクツクホウシという順番だった。家のまわりにはまだまだ大きな木がたくさんあった。近くの病院の敷地やお屋敷の庭など、そこいらじゅうに蝉がいた。残念なことに、病院の林は小さな公園におちぶれ、お屋敷は大木とともにことごとく消え去った。 日本の夏は蝉しぐれの夏だった。 土がコンクリートに変わり、大きな木が切られ、ここ60年ほど蝉には受難の連続だ。それは人間にとっても、環境問題が進行していたことを表している。1960年代の公害問題を経てすら、1970-80年代には対症療法的アプローチが大半で、積極的な反省は見られなかった。環境について行政に任せるのではなく、真剣に市民レベルで行動を起こすべきという意識が出てきたのはバブルがはじけた1990年代になってからだ。 川の再生のシンボルとして鮎や鮭が語られるが、人が直接住む土地の再生のシンボルは蝉だと思う。蝉しぐれなくしていい住環境なし、としたい。木に産み付けられた卵からかえり、土の中にもぐって7年、ようやく地上に出ようとしたらコンクリートで出られないというのは、蝉だけの問題ではない。そこには我々の問題がある。 蝉の声が映画やテレビでの夏の効果音だけに残ってしまったとき、失うものは計り知れない。
by bgst
| 2005-07-16 10:29
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