As Usual
当Blog内の記事、写真、その他コンテンツ(第三者のコメント・写真・引用文・図表を除く)についての著作権は大沢知之に帰属します。著作及び著作の一部などご利用になりたい方はメールにてtop@spn1.speednet.ne.jp までご連絡ください。各種お問い合わせも同様にお願いいたします。
Blog掲載記事及び著作者本人のコメントはすべて個人としての考え、意見などに基づいて書かれており、いかなる組織、団体、会社をも代表して述べられたものではありません。 以前の記事
2015年 12月 2015年 01月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 04月 2014年 03月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 04月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 検索
その他のジャンル
ファン
画像一覧
|
近くの商店街に燕が来ている。子供の時から変わらない。毎年この時期になると渡ってきては巣を作る。日本で営巣する燕の越冬地はマレー半島、フィリピン、台湾、オーストラリアなどと言われている。南西諸島経由で日本列島を北上してくる。
想像してみる。今は商店街や人家が立ち並んでいる場所は、明治の頃は大部分田畑だった。多分、江戸時代も同じだろう。平安・鎌倉・安土桃山各時代は田畑か荒野の類だと思う。この商店街は呑川という二級河川(戦前まではほんの小さな川)の近くにあるから、それ以前は河原か、それに近い場所だったはずだ。一説によると、2000 年前ぐらい迄に、呑川を含む古多摩川流域の低地部が形成されている。すると、ここ100年を除いて、それ以前の1900 年間は川の流れが変わりはしても、だいたい似たような地形だったはずだ。 燕は人家がなかった頃は枯れ木や葦などに営巣していたらしい。今でも、若鳥は巣立ちをすると群れをつくって葦原などに集まる。古代呑川の川沿いは格好の営巣地だったろう。餌となるハチ、ハエ、ウンカ、アブ、トンボもたくさんいたはずだ。今の呑川は大きなコンクリート溝と化してはいるが、ウンカが発生し、蝙蝠も住んでいる。環境ははるかに悪くなったが、餌ゼロというわけでもない。 2000年近く、何世代にもわたり、ここに渡ってくる燕とそれを育む自然を思う。
by bgst
| 2013-07-03 15:21
|
ファン申請 |
||