As Usual
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平凡なことを何十年も続けると非凡になる場合がある。非凡でも一回限りだと信頼性に乏しい。再現性がないと平凡な騙しと間違えられる。平凡と非凡は対極にあるようで、隣り合わせだ。
前に進むのは、後ろに引き下がることの正反対のように思われる。ところが、前進するためには一度下がって別の角度から攻めたほうがいい場合がある。そういうときは、後ろに下がるのが、前に進むための条件になる。 頭が冴え渡っていたほうが何事もうまく早く片付くと思いがちだ。だいたいそういうことが多い。ところが、肝心のときに、例えば大きな決断をするときなど、少し抜けているぐらいの方がかえって正しい判断ができる。冴え過ぎていると、細かなことまでよく見えてしまい、いろいろ心配の種が増えるので、優柔不断となり、結局決断のタイミングを逃してしまうか、或いは決断自体を回避してしまう。 何でも極端に走らず中庸がいい、というのは早計だ。そうではない。平凡と非凡の両極に達するぐらい努力しておいて達観した後、中庸に落ち着いてしまう、という場合は許されるが、ただすべて穏便に波風立てずに過ごすというのでは、己の磨かれ方が鈍くなってしまう。 毎日の過ごし方が問われる。恐ろしい。
by bgst
| 2005-10-16 11:32
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