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「盡人事而待天命」 というのが原典にあるフレーズだ。 南宋初期の儒学者であった胡寅 (こいん)が「読史管見」(とくしかんけん)という書物で使った。現代中国語では「盡人事、聽天命 (jìn rén shìh,tìng tian mìng)/尽人事,听天命」と言うらしい。800 年以上も経過すると、「待つ」がいつのまにか「聽/听(まか)す」になっているが、中国から学んだ日本では、原典どおり「人事を尽くして天命を待つ」のままだ。古層文化は文化発祥地より辺縁の地で保存されるという大きな法則があるといわれる。これもその例に漏れない。
ずっと保ち続けてきたのだから、その意味をよく理解し、実践したほうがいい。「ありがたい」お札だけ持って努力せず、ただ神頼みではおぼつかない。「尽くす」ことなくして、「天命を待って」いたらどのようなことになるか、頭ではよくわかっているはずだ。 でも、そうは言っても、なかなかやらないのが普通の人間だ。なぜだろう。 面倒くさいとか疲れるとかいう程度の理由は別として、「尽くす」度合いがわからない、というのが考えられる。尽くせといわれても、どこまでやればいいのか。それとも際限など考えること自体が既にだめなのか。とにかく全身全霊、力尽きる一歩手前までやるという「構え」や「態度」が大事なのか。 原発事故のように、大きな事故が起きたときに議論を呼ぶ。「人災」だという非難の声が挙がるのは、「人事を尽くしていない」と思うからだ。原発設計者から見れば、それでは設計にあたりどこまで所与の条件として取り入れるべきか、ということになる。津波だったら高さ30m 級なのか、或いは 40m 級なのか。今回は過去の津波の事例を勉強していないという批判があるが、では、過去の事例の上限が 35m だったら、設計条件はどこまでにするのか。これはかなり難しい。 フランスはチリに原発を売りこんでいるという話があるが、それではあの津波国で、海岸に建設するとして、設計条件はどう設定するのか。或いは、内陸だとして、マグニチュード 11.0 を想定すべきなのか。津波の高さ40m もマグニチュード11.0もチリには前例がないとすると、さて、それを設計条件としたら「人事を尽くした」ことになるのだろうか。 これは原発に限ったことではない。あらゆるモノ・コトに関係する。「盡人事而待天命」は非常に説得力のあるフレーズだが、実際に応用する場合、結構大変だということがわかる。そして、そうこうしているうちに「天命」が来てしまう。だから、速い行動も重要だ。 「盡人事而待天命」に「速」か「急」を足そう。
by bgst
| 2011-04-01 18:30
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