As Usual
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いろいろ必要な(必要と思える)モノが入ったカバンを持っていると何かと便利だ。でも、重いカバンを持って坂道を登るのは嫌なものだ。毎日のことになれば慣れてはくるが、それでもない方がいい。自分で持つことに決めたのだからしょうがない。バスでも乗るか。自業自得という四文字熟語で表すほどの辛さではないが、ここに記事を書く動機になるぐらいのいやらしさはある。少しぐらい長い道のりでも、手ぶらであれば楽なものだ。そう、覚悟を決めて持たないようにすればいい。それだけのことだ。
個人レベルのことであれば、話はこれで終わる。べつに人様に開陳するようなことではない。ところが、これと同様のことを社会全体、世界全体でやっているとなると、少し考えるべきかなと思う。 「便利」というのは表向きはなかなか否定的に使えない。「電車一本、15分で仕事場に着く」と言われれば、「ああ、それは便利ですね」と答える。「上司がボケてて、一日中たいした仕事もしないで給料もらえる」と言われ、「へえ、それは便利。その間、ネットで本でも読めるね」と応じることはできる。この「便利」は「給料もらっていながら仕事はしないで、好きなことができる」ということについて言っている。このあたりが常識的な反応だろう。 ひねった見方をすると、最初の例では、「ああ、それは便利ですね。でも、それぐらいだったら歩いたらどうですか。健康のためですよ」という答え方もできる。まあ相手にもよるだろう。二つ目の例では、「へえ、それは便利。その間、ネットで本でも読めるね。でも仕事覚えないとためにならないよ。後で後悔するんじゃないの」という反応をしていもいい。どちらも、善意であるという前提においては(悪意があって何かそそのかしているのではない限り)、相手のためを思ってのことだ。こちらの二例が親しい仲で使われる場合が多いことがそれを示している。ここでも「便利」自体は否定的に使われない。ただ、後で続く文脈で「便利」に留保を付ける形をとっている。 人は昔からずっと「便利」を追及してきた。一部の諦観者、世捨て人、非常識な輩を除いて。今日より明日、去年より今年、より便利な生活を求めて努力してきた。「便利」に否定的な語感がないのは、それが人間の営みにおいて大いに奨励されてきたことと関係している。徒歩の代わりに自家用車に乗る。車は家の敷地内に駐車する。駐車スペースは建屋になっていて雨に濡れない。建屋の入口にはリモコンの自動シャッターが付いている。際限なく「便利」になっていく。それが大きな流れだった。 流れを支えてきたのは、水、木材、石炭、石油、天然ガス、ウラン、そしてまだメージャーな存在ではないが、風、太陽熱、地熱といった資源だ。人間の知識と経験が資源をエネルギーに変える事を可能にした。この流れを否定的に見るのは一種のタブーだったといっていい。生活を「便利」にしてくれるエネルギーは人間の見方だった。少なくともそう思われていた。 ところが、早い人はもう何十年も前から気がついていて、「不便がいい」と言っていた。もちろん少数派だった。今になって、時代がその人たちにようやく追いついてきたようだ。「便利」の価値観が少しづつ変わってきている。多数派ではないが、もう無視されるような力ではない。資源を利用してエネルギーを生み出し、それを使って「便利」になるのに疑問符が付いたのだ。 いよいよ、「便利」に積極的に留保を付ける時になった。「便利だけど、 xxx ないとためにならないよ。後で後悔するんじゃないの」が真剣に問われる段階に来ている。これまでは、留保をつける人の意見はかき消されていた。これからは留保を論理的にとことん詰めて「便利」を問い直していく。場合によっては「不便」を選ぶ必要がある。これはたとえ「クリーンな」風、太陽熱、地熱といったものの場合でも同じだ。これからどのような展開があって、どのような問題が出てくるか、まだ人間にはわかっていない。何か原因を作れば結果が出る。その連鎖は永遠に続く。そういう前提で臨むのがいい。 「便利」が単純肯定でなく、「不便」にポジティヴな意味合いが出てくる。そういう時代に入ったのだ。
by bgst
| 2011-03-31 17:35
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