As Usual
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厚生省管轄の法律・省令・通達、或いは東京都の発表などを見ていて、改めて法治国家や民主主義について考えた。以下、このあたりご存知の方にはあたり前でくどい話になるが、勉強を兼ねているのでご勘弁を。
福島原発事故発生直後に考えたのは、極めて特殊な事故現場で働く人たちの人命や健康について、法治国家である日本がどう法的・行政的に対応するのかということだった。危険な場所での作業を指示・命令する場合、当然何らかの法的根拠や行政的判断が求められるからだ。 許容される以上の放射性物質が大気中に漏れて緊急に対応しなければならない。ロボットでなく人が、それも地震と津波の被害を受けた施設の中で(例えば電気がない中)、放射線を浴びながら仕事をするという極限環境だ。 普通、法律・省令というのは不測の事態に備えて、ある程度異常・緊急の場合の対応も明文化されている。福島原発事故でも幾つかの法律・省令に基づき、次々と行政措置がとられていった。例えば、東電は3/11に原子力災害対策特別措置法第10条第1項に基づく特定事象の発生を経済産業大臣・福島県知事などに通報している。正式には政府はこれを受けた形になっている。 一方、既存の枠にはまらない、或いはその通りにしない方がいいという判断があった場合は、緊急・暫定的に規則などを変えていく。3/15 に厚生労働省が緊急作業時における放射線許容限度量を100から250ミリ・シーベルトに引き上げたのがその例にあたる(厚生労働省令の電離放射線障害防止規則)。法律でなく省令(法律より二段階下)で、省の大臣が発令した。3/15 迄の時点で、福島原発の現場で働いていた人の中には、突発的事故(例えば水素爆発)により100ミリ・シーベルト以上を浴びた者がいた可能性もある。こういう時は規則は後追いにならざるを得ない。規則に定められている100 を 250ミリ・シーベルトへ引き上げたのは、それ以後の緊急作業で実効を挙げるためと思われる(引き上げずにやろうとすると、作業総量が同じとして、より多い人数の作業員が各自、より短い時間作業することになる)。そうしなければ、「規則違反のまま」それを黙認して作業を続けることになってしまう。東電が会社として勝手に判断し、作業員に規則違反の仕事をさせるわけにはいかない。 こうした行政府の動きは、法律・省令が定める範囲において或いは基準をベースに行われる。それが法治国家たる所以だ。それなりの手続き、時間、調査・検討・決定の労が必要となる。どこかの独裁国家のように国家元首の意のままに、国会審議(国会・議会の制度がない国もある)や行政府内での議論もなく、決定され実行されていくことは日本ではあり得ない。行政府の一連の動きがまどろっこしく見えるのは、いい見方をすれば法治国としての制度が機能しているということだ。 法治国家は民主主義で支えられている。中身がちゃんとした法律を作るには国会審議の質を高める必要があるが、それには審議にかかわる議員(内閣を構成する議員も含め)の質が高くなくてはならない。国民がよく勉強して任せるに足る議員を選ぶのが基本になる。 日本はアメリカと違い議員立法が少なく(アメリカの議員はそもそも弁護士出身が多い)、政府提出法案が多い。よって、その前提が変わらないということであれば、少なくとも政府提出法案をよく吟味し、国会審議を経て意味のある法律にする能力を持った議員を選ばなければならない。 もちろん、素晴らしい国会審議により、国民に絶賛される法律ができ、それに基づいて企業活動(例えば東電の原発事業)が展開したとしても、予想外のことは起きる。今は原発設計にあたり、マグニチュード 8.0/9.0の地震 や 15-30 m を超える津波を想定していなかったことが批判されている。それでは今後、 マグニチュード 9.0-10.0 を想定し、現在の建築基準法を変えて耐震建築規制を厳しくすべきなのだろうか(今回の9.0 で崩壊した建築物は耐震基準が今ほど厳しくない時に作られたと聞く)。規制を厳しくすれば多分既存の原発の耐震化だけではなく一般住宅の建築コストもかさむ。それを国民がよしとするのかどうか(全国の原発耐震化はよしとする可能性が高いが、その財源が消費税増税を前提としていたらどうか - 各電力会社だけの財源で可能とは思われない)。このあたり、そう簡単に議論が収束するとは思えない。 結局、「予想外のことは起きる」という前提で、できるだけ中身の濃い法律を作っていくしかない。そして、問題が起きれば、法律に基づき諸施策を実行していく行政府に任せる。行政のやり方に落ち度があれば、国会でチェックして正していく、或いは裁判所が判断する。大震災・大津波だから、原発重大事故だからといって三権分立の制度が変わるわけではない。 以上だが、「行政府(のみ)が問題だ」とお考えの向きもあろう。これについては別途書くことにする。
by bgst
| 2011-03-24 20:33
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