As Usual
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小学生のとき、授業で等高線について学び、地形のパノラマ模型を作ったり、薄紙で地図をなぞって実習したりした。なぜかわくわくした。低学年のうちは家の裏庭などを目的もなくどんどん掘ったのを覚えている。黒土の下に赤茶色の粘土層があり、それに関東ローム層という名前がついていることも学んだ。5年生の頃には付近の貝塚跡で土器のかけらを掘り出したりして楽しんでいた。大田区には古墳も多いので刺激になったのだろう。高校生になって、考古学や歴史の本を漁るようになり、地図を使って自宅周辺の等高線図を描いたりして遊んだこともある。
今でもこういうものに興味がある。興味のない人には申し訳ないが、ときどき頭をもたげる趣味みたいなものなのでご勘弁を。 以下、「多摩川の汽水域」というサイトより、そこで紹介されている「大田の自然」(大田区教育委員会編集発行)の説明を使いながら、現在の居住地(大田区東雪谷)がある荏原台(武蔵野台地の南端一部)の地理的・地層的位置づけを記す。 多摩川は東京湾に向かって流れているが、その(湾を見て)左岸下流域に荏原台という段丘がある。荏原病院、本門寺などが台地上にある。自宅近くの等高線で 20-30メートル級の場所だ。ここは東京地域では多摩川右岸の多摩丘陵の次に古く形成された地域だ。荏原台の層を深い方からみると、 「三浦層」 砂及び凝灰質の泥岩層 「東京層」 主として砂礫 氷河が解けた時期に堆積 「渋谷粘土層」 粘土層 海岸の湿地に火山灰が降って粘土化したもの 腐植物を多く含む 「ローム層」 古富士火山(武蔵野ローム)や箱根火山(立川ローム)の火山灰が堆積 ローム層は鉄分が酸化して赤土、腐植した表層は黒土 氷河時代末期(ヴェルム氷期)には、海面は今より80メートル程度低かった。海は浦賀水道のあたりまで後退し、東京湾は陸化していた。その後氷河が溶け、今から6千年前頃に海面の位置はピークを迎えた。その後また海面が低下していったが、この時期、荏原台は崖となり、その下には海が広がっていた。 今住んでいるところが丘の尾根にあたる場所なので、ここからは東に行っても西に行っても、すぐにその崖になる。南に歩くと1分もしないで荏原台の端のあたりになるので、ここも崖だ。縄文人はそこから海を眺めていたことになる。東と西の対岸には久が原や馬込の台地、南には大海原が見えたことであろう。 箱根の火山噴火は台ケ岳・神山・陣笠山・駒ヶ岳・二子山が約5000年前、冠ケ岳が約3000年前だというから、縄文人はこの噴火も台地の上から眺めたはずだ。 参考:多摩川の汽水域、東京の地形と地質、Volcano Fuji
by bgst
| 2005-07-07 23:21
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