As Usual
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1971年の夏、箱根でピンク・フロイドのライヴを見た。今から思うと、日本の音楽ライヴ史に残る出来事だったが、そのときにはまだ若くてよく理解できていなかった。世界的に有名なこのイギリスのバンドをライヴで見たのはそれ一回きりだ。
もう三十年以上も前のことなので記憶が消えてしまった部分も多い。これから更に忘れていくだろうから、今のうちに覚えていることを書いておこう。 ==== 1971年の6月、ウイーンから東京に戻り、新たな生活が始まった。都立高校への編入を見送り、神奈川県の私立高校へ途中入学することになるのだが、その前の8月にライヴはあった。 東京から長距離バスに乗り、小田原へ。乗り換えて元箱根へ着く。そこからかなりの距離を歩いてテント村のあったところ(今の箱根プリンスホテルの敷地内)へ夜に到着。一泊する。小さな一人用テントが林の中に点在する簡易宿泊施設だった。かなり粗末なつくりのテントはちゃんとした鍵が入り口になく、不安を感じた。食事をするにも金が少なく、近くの屋台のようなところでファーストフード、自動販売機でジュースを買う。 翌朝、芦ノ湖沿いに歩いて会場となっている山の斜面へ向かう。斜面の上には大ステージが組まれていた。夕方になりピンク・フロイドが登場、演奏が始まる。たしかアルバム "Atom Heart Mother" がリリースされた後のような記憶がある。そこから何曲か演奏。夕闇迫る中、霧が斜面にかかり、ステージのまわりを取り囲んだり、静かに横切ったりした。予想していなかった自然の演出に誰もが息を飲んだことと思う。エコーのきいた伸びるギター音をドラムとベースの重低音が支える中、中音域をキーボードが緻密にカバーする。当時としては最高レベルの音を出していた。会場を埋め尽くした大勢の観客は音に酔っていた。 翌日、金がなく、テントに泊まれない。またまた長い距離を歩いて元箱根へ。夜になり、あてもなく歩いているうちに、バス停で野宿をしている二人の大学生と会う。親切にも寝袋を貸してくれ、そこで寝ることとなる。夜半に近くの店からやくざが出てきて、寝ている我々を脅かす。狸寝入りでごまかしたが、内心ひやひやしていた。 =========== 以上、個人メモとして。 少し詳しく書いてあるサイト 1、サイト 2を見つけました。
by bgst
| 2005-07-06 18:48
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