As Usual
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いつなんどき、何が起きるかわからない。それが日常だ。でも、日常という語の意味には突然起きる出来事は排除されている。ほんとうは、日常の延長線上のある日、急にとんでもないことが起きることがあるのだが、それは日常ではないという約束事になっている。例えば、急病になるのは日常とは考えられていない。
急病にかかって入院した途端に普通の日常は終わりを告げる。急病直前までは日常だ。退院すればもとの日常に戻る。ただ、後遺症が残れば、それは当初は非日常でも、だんだん日常の一部になっていく。持病で長いこと病院通いを続けている人にとっては、それが日常で、急に病気が治れば、しばらくはそれが非日常になる。いつなんどき、何が起きるかわからない、と言いながら「起こっていないことに安心して」いる日常だが、起きることを心配し、強迫的になってくると病気となり非日常になる。ただ、病気となった本人にとっては、それが日常になってしまう。 *本人に何も変わったことが起きていなければ、あるいは、本人が日常を生きていると思っていれば、世の中でとんでもないことが起きていても、それは普通、日常とみなされる。つまり、日常とは本人次第。本人が日常と思えば、他人から非日常に見えてもそれは日常だ。 *本人にとっては、日常の中に非日常が突然現れる。非日常の方が日常より時間的に短い。 日常の方が非日常より短くなってくると、普通、非日常と思われていたことが日常になる。 *日常とは他人との関係で際立つ概念だ。本人にとっては日常と非日常は逆転し得る関係で、本当の「非日常」というのは短い期間しか存続できない。一生の大部分は逆転した日常も含めて「日常」ということになる。たとえ、それが他人に非日常に見えたとしても。 よって、他人をもって「あいつは変わっている」とはなかなか言えない。本人は極めつけの日常を生きているかもしれないのだから。ましてや、文化の異なる他国の人についてモノ言うときは気をつけるに越したことはない。人の集合である国についても。アメリカ人が見るイスラムの日常とはどのようなものなのだろうか。また、逆にイスラム圏の人が見るアメリカの日常とは。
by bgst
| 2005-07-06 15:30
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