As Usual
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人の美は真剣な思いと行いにある。
自然の美は思いと行いがまったくないところにある。 人の美の追求が極限に達すると、「思い」がなくなり、「行い」が意思の力を借りずに成立する。本人が「気が付いたら」完全な形で行われていたというのが理想だろう。 無我に至って、自然となる。ここで人の美と自然の美は一致する。 #
by bgst
| 2015-12-30 11:16
ノルウェーのBodø に来て三日目になる(現地時間 1/22)。
夜、仕事でコンサートを聴いていると、今回招聘していただいた地元の方が来て、「オーロラを見に行くから来ないか」と言われる。22:30頃、車に乗って近くの山へ向かった。5 分ほどで頂上らしき平らなところに出た。「向こうに出ている」というので見てみると、遠くの山の稜線に沿ってかすかに薄い雲のようにたなびいている。上空を見上げるとそこにも薄く帯状に流れている。うっかりすると天の川と見間違う。満天の星とは別に川のように流れている。 写真で見慣れた濃い緑や青のものとは随分と違う。いや、その随分と違うところが余計にリアルさを醸し出している。本物だという気がする。初めて地上で見ることができた。だからといって凄く感激というわけでもない。冬の晴れた日の夜、北極圏にある、オーロラが出ることで知られた街の近くの暗い山の上に行ったから見えたのだ。確率が数学的にどのくらいになるのかはわからないが、因果律は確実に働いている。 それでは、そういう「あたりまえ」のことなのになぜ Blog に書くのか。肉眼で見たのが初めてだからか。日本では滅多に見られないからか。「普通」の日本の暮らしでは体験できない非日常性溢れることがらだが、これはBodø にとっては「普段」の範疇内だ。同じ人間が空間軸を変えたから「普通でない普段」が登場した。ということは、Bodø の人が日本で台風の目の中に入ったら 「Blog もの」になるのだろうか。或いは、震度 6 程度の地震に遭遇したらBlog に書くレベルなのだろうか。 つまり、これは人間にとっての相対的な新鮮さや驚きのレベルの問題なのか。富士山が連日のように噴火しているのを見ていた縄文時代の人々の気持ちが知りたい。 #
by bgst
| 2015-01-23 07:50
結局昨夜はオーロラを見られなかった。現れるかと思って一時間ぐらい待っていたが、睡眠を優先した。わざわざ日本から、現れるかどうかもわからないオーロラを見るために訪れる観光客がいるのは知っている。プライオリティーが違うのだ。
現地の人によると、今日は見られる可能性が高いらしい。オーロラ出現の可能性を予想するシステムらしきものがある。19:00から数時間仕事をして、その後にでも見られたらいい。また睡眠を優先してしまいそうな気もするが。 ここ Bodø はオーロラを観光資源にしている。ホテルの部屋に置いてある案内書の表紙は街の上にオーロラが輝いている写真だ。オーロラは太陽のプラズマが地球の磁気圏に衝突して発生すると考えられている。宇宙的原理が観光客を呼ぶ。それでも身体的原理が睡眠を呼ぶ。睡眠周期があるからだ。そしてその周期は脳内視床下部の視交叉上核にある体内時計(概日リズム)が一日24時間10分であることに起因している。それは当然ながら地球の自転と関係している。国際地球回転・基準系事業 (International Earth Rotation and Reference Systems Service)によれば、恒星に対する地球の自転周期は 86 164.098 903 691秒(23時間56分4.098 903 691秒)だ。 何のことはない。オーロラと睡眠はどちらも宇宙原理に支配されている。両者に優劣はない。どちらを優先するかは人間の勝手だ。オーロラを見て睡眠不足になるのも、見ないで寝て健康維持に努めるのも大して変わりはない。 #
by bgst
| 2015-01-22 01:07
北極圏に来た。飛行機で上空を飛んだことがあるが、地上は初めての経験だ。
ここノルウェーはヨーロッパ大陸の一番北に位置する。その中部少し北あたりにBodø(発音は人によるが、ブーデー、ボードーと聞こえる)という町がある。北極圏は北緯66度33分以北をいうから、北緯67度18分20秒 のBodøはギリギリ北極圏内だ。 冬は一日ずっと暗いとノルウェー人にも言われていたが、到着した14:00 台はまだ明るかった。15:00 台から夕方のようになり、16:00 を過ぎたら真っ暗になった。今夜はオーロラが見られるらしい。昨夜に見られて、今日も晴天だからと言われた。 少しばかり仕事をして18:00を過ぎたので街を歩いてみることにした。外はさすがに寒い。でも、マイナス5度程度だから北極圏としては暖かい。沿岸部をメキシコ湾流が洗っているせいだ。70年代にオーストリアのスキー場でマイナス 17度を経験していたので、顔や髪の毛に氷滴がまとわりつかないのでは大したことはないなと思う。でも、首都オスロが 3度ぐらいだったので、一気に8 度も温度が下がったことになる。Bodø は港町で風が強いから体感温度は結構寒い。歩き回るつもりだったが、ホテルを出て100メートルもいかない内に、お店が集まっているビルに逃げ込んだ。手袋をしていても手が寒い。ここで町の暖房系統が全滅したら生きていけないのではという思いがよぎった。 インテリアの店を見る。いかにも北欧のそのまた北部らしい色彩のものが多い。白、ごく薄い緑、濃い青など自然の色を反映したと思える色使いだ。海色の濃い青以外は強いトーンの色がない。どこかみな薄い膜がかかっている。商業ビルの中はそれなりに人がいる。でもオスロとはだいぶ雰囲気が違う。多国籍でいろいろな顔の人たちが行き交うオスロはノルウェーでありながらもコスモポリタン・シティーだ。Bodø はノルウェー北部らしく金髪碧眼の北欧人とフィンランドなどでもよく見られる黒髪で顔立ちがはっきりした北欧人で占められている。歩いていると、日本人/オリエンタルを見るのが珍しいのか、少しばかり見つめられたりする。オスロとはまったく違う。60-70 年代のウィーンを思い出した。 泊まっているホテルの最上階に行ってみた。展望がきくレストラン・バーになっている。時間が少しばかり早いのであまり人がいない。しばらくバー・コーナーのソファに座っていたがオーダーをとりに来ない。そうだ、注文はカウンターのみで受けるのだ。日本ボケしていた。従業員が英語で会話していたが、一人はスコットランド人か、イギリスの感じがする。客席にはロシア語を話す一組、ノルウェーの船員風の三人組などがいる。結構飲んでいるらしい三人組の一人はかなりのダミ声で大声で話している。今の日本では絶滅危惧種だろう。昔はこういう酔っ払いがいたななどと思う。「船員」のもう一人が紙巻タバコをとり出し、たばこを巻きだす。ホテルは全面禁煙だから吸えないはずだと思っていると、左手で持って吸うような仕草をしているが火は点けない。そのうち今度は手持ちのi-phone でロックを流し出した。バーにはかすかにBGM が流れているが、それを無視しているのか、聴こえていないのか、i-phone の音量が大きくなる。ダミ声の「船員」が仲間に大声で話しかけたり、わめいたりしている。しばらくして、カウンター内にいた従業員が歩み寄り何事かを伝えた。i-phoneの音が止まる。興醒めしたのか、間もなく「船員」達は外に出るべくセーターやジャケットを着だした。ダミ声のわめき方がより頻繁になる。何を言っているのかわからないが、注意されて気分を害したと勝手に想像する。結局、バーがだんだん混んできた中、「船員」達は帰っていった。まだできて間もないBodøの高層ホテルが、昔どこかで見たような田舎にある港町に酔っ払いがいる風景と奇妙なコントラストを見せた。これは60-70年代に、日本の田舎に突然建ったモダンなホテルで起きていたことと同じではないか。 さて22:00 を過ぎた。そろそろオーロラが現れる。そう思うことにして今日はここでやめておく。 #
by bgst
| 2015-01-21 06:11
完全というのは危険を孕んでいる。
不必要に完全を求めると、無駄な時間を過ごすことになる。気持ちがいいからといって一日中家の中を掃除していては、できること、やるべきことができなくなる。おいしいからといって徹底的に料理の素材に凝って、下準備に時間をかけると、これも他のやるべきことができなくなる。 もちろん、掃除のプロや料理のプロはこの限りではない。とことん追求して完璧を目指せばいい。問題なのは、自分が真に目指すべき領域以外に時間をかけ過ぎることだ。 どこでどのように完全を目指すのか。間違えば大きな時間的損失を被る。 時間をかけていい、自分にとって意味のある目標の設定と、それに向けてかたむける努力において「完全の追求」は正しい意味を持ち得るのだ。 #
by bgst
| 2014-11-27 13:20
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